芥川龍之介の短編『鼻』。
あらすじを100文字以内でまとめるとこのような話ですが……
長い鼻に悩む僧侶・禅智内供(ぜんちないぐ)は、治療で鼻を短くすることに成功した。
しかし周囲の反応はなぜか冷たかった。
その後鼻は元に戻り、禅智内供は不思議な安心感を覚えた。
さすがに短すぎて、面白さが伝わりませんね。
この記事では
- あらすじを簡単に、現代語訳して要約
- わかりにくい部分について解説
- 角栓の描写についても解説
していきます。
目次
簡単にあらすじ解説
『鼻』の簡単なあらすじです。イラスト・解説付き。
長い鼻に悩む禅智内供
禅智内供(ぜんちないぐ)というお坊さんには、とても大きな悩みがあった。
それは鼻だ。
あごの下まで垂れ下がり、長さは15〜18センチほどもある。
食事の時は、弟子に板で鼻を持ち上げてもらわなければならなかった。

しかし本当に苦しかったのは……
不便さではなく、笑われたり、奇異の目で見られることだ。
表向きは平気な顔をしながら、内供は心の中で強い劣等感を抱いていた。
鼻が短くなる方法を見つけた!?
ある日、京へ行った弟子が「鼻を短くする方法」を聞いて帰ってきた。
- 鼻を熱湯でゆでる
- 鼻を足で踏む
- 毛穴から脂(角栓)を抜く

嫌々ながらも試してみれば……鼻は本当に短くなった!普通の人とほとんど変わらない長さに!
→この描写については、真実味も合わせて下記で解説
内供は大喜びした。
「これでもう誰にも笑われない」
クスクス笑う弟子たち

ところが内供を見た人々は、以前より露骨に笑ってくるようになった。
弟子たちや中童子の態度が悪い。
中童子(ちゅうどうじ)……寺で雑用や身の回りの世話をする少年
人間には不思議な心理がある。
誰かが不幸なときは同情するが、
その人が不幸を克服すると、なぜか面白くなくなる。
そして無意識に、その人がまた不幸になればいいと考える……
【最後】元に戻った鼻

ある朝起きると鼻がむずむずした。
翌朝になると、鼻は元の長い姿に戻っていた。
内供は不思議なことに安心した。
鼻が短くなった時と同じくらい晴れ晴れした気持ちになったのである。
「これで、もう誰も笑わないだろう」
「角栓を取って鼻が短くなった」は誇張
『鼻』には「角栓を取ったら鼻が短くなった」という描写があります。
鼻を熱湯でゆでて踏むと、

粟粒のようなものが、鼻へ出来はじめた
とあり、その後、
これを鑷子(けぬき)でぬけ
と言われて、毛穴から脂を抜いています。

脂は、鳥の羽の茎のような形をして、四分ばかりの長さにぬける
……汚いですがちょっと気持ち良い描写ですね。
現代でいうと、この「脂」は皮脂が固まったもの、つまり角栓(毛穴に詰まった皮脂や汚れ)にかなり近いものです。
(角栓という言葉は使われていませんが)
しかしこれは創作。
角栓を取り除いても、本作のように鼻が短くなることはありません。
- 毛穴の黒ずみが減る
- 鼻表面の凹凸が減る
- 毛穴の詰まりによる膨らみがなくなる
ため、スッキリした印象になることはありますが、あくまで「印象」程度です。
実はこの場面、平安時代の説話集『宇治拾遺物語』にある「鼻長僧」の話が元ネタです。
そこにも「鼻をゆでて脂を抜く」という治療法が登場します。
作中語句・言い回し解説

作中内の現代人には難しい言い回し・語句部分を、かみ砕いて解説しています。
【言い回し】内供の自尊心は~
内供の自尊心は、妻帯と云うような結果的な事実に左右されるためには、余りにデリケイトに出来ていたのである。
「妻帯と云うような結果的な事実」とは、
「お坊さんなんだから鼻がどうであれ妻は持てないでしょ」ということです。
しかし内供の心は繊細で、「じゃあいいか!」とは思えない。
自尊心があるため、町の人たちが噂している「あの鼻では妻になる女性はいないだろう」という部分こそ、気にしてしまう。
という文章です。
地名『池の尾』は架空
禅智内供の鼻と云えば、池の尾で知らない者はない。
書き出し文にある『池の尾』という地名は実在しません。
芥川が考えた、「京都周辺をイメージした架空の寺町」という認識でよいようです。
悪口「法慳貪」
しまいには鼻の療治をしたあの弟子の僧でさえ、「内供は法慳貪(ほうけんどん)の罪を受けられるぞ」と陰口をきくほどになった。
「法慳貪」とは心が狭く、仏の教えを惜しむような態度を指す仏教用語です。

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