「ほっこり」しているのか、この人は。いっちゃんが必死で書いた手紙に。ほっこり。馬鹿みたいな言葉だと思う。天音には悪いが。
寺地はるなさん著作『川のほとりに立つ者は』ネタバレ有りの感想記事です。
発達障害などにも触れられ、人とのかかわり方を考えさせられる作品。
2023年本屋大賞9位に選ばれています!
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あらすじ
カフェの若き店長・原田清瀬は、ある日、恋人の松木が怪我をして意識が戻らないと病院から連絡を受ける。
松木の部屋を訪れた清瀬は、彼が隠していたノートを見つけたことで、恋人が自分に隠していた秘密を少しずつ知ることに――。
「当たり前」に埋もれた声を丁寧に紡ぎ、他者と交わる痛みとその先の希望を描いた物語。
簡単な感想
静かに流れる川のような、透き通った優しさの交じる物語です。
忘れていた繊細さに気付き、感受性を高める一冊。
推理、恋愛も少し混ざってきますが、主なテーマは『他人の心を想像して手を伸ばす、但し無理には引かない』…といったところかと思います。
「人を傷つけない方法」について考えさせられました。
主な登場人物
- 原田 清瀬……カフェの店長をしている。
- 松木 圭太……清瀬と自然消滅した感じの元カレ。
- 岩井 樹……松木と喧嘩し意識不明の男性。
- まお……岩井樹の交際相手。岩井家で世話になっている。
- 菅井 天音……松木が書いていた謎の手紙の相手
名前は割と重要だったりします。
ネタバレ感想
元カレ”松木圭太”が歩道橋で男性と喧嘩し、階段から転げ落ちて意識不明の重体ーーー
そんな知らせから始まる、彼の事情を知るための物語。
ーーーあなたはわたしのことを、どれだけ知っている?
松木は個人名を出して話をしなかった
彼女の清瀬にも、あまり自分の周囲を具体名で話さなかった松木。
「会社の人」「近所の人」「友だち」……
このことが、中々真相にたどり着かせてくれない要因となっています。
物語の構成
『夜の底の川』という一冊の本を鍵に進んでいく清瀬の推理と事実の明示。
全て清瀬視点で進んでいくのではなく、『〇月〇日松木圭太』というように、清瀬の知らない松木圭太の事実も一緒に記されています。
喧嘩相手の恋人であり、喧嘩の目撃者である「まお」は、
「悪いのは松木さんです」
と言い切ります。
事実なのか?松木に何があったのか?
何も知らない混乱と、こちら側(松木)が悪いのかという不安。
清瀬の精神状態は良くないでしょう。
読者側も何とも気分が悪くなる展開ですが、それを見計らったように投げ込まれた奇妙なスパイスでした。
物語が面白くなった瞬間
この物語には明確に「面白くなってきた」瞬間がありました。
覆った両手の下で、彼女の唇の両端が持ち上がっている。
(略)
見間違いではない。清瀬はたしかに、彼女が笑ったのを見た。
まおさん。
彼女は恋人が意識不明の現状で、「松木が悪い」と言って、笑いました。
これはゾゾっときてしまいます。
事件と彼女に裏がある。この「まおさん」が物語の軸だったりします。
ヤベェ女
清瀬はその後もまおさんと偶然会いますが、この女、案外わかりやすくやべぇ女でした。
- 清瀬が読んでいた本を容赦なくネタバレ
- 「え~清瀬さんこんな時にも食べられるのすご~い。私はショックで食事が喉を通らないです」
と、耳を疑うような発言を繰り返しています。
というか、「清瀬」は下の名前なんですよね……
まおさんはフルネームを名乗っていないから、清瀬は「まおさん」と呼んでいるのであって。
まおさんに「清瀬さん」と呼ばれる筋合いはないんですよ!!!
この物語は最初から最後まで彼女に振り回されます。
登場人物の整理
合鍵で松木の部屋に入った清瀬。
ひらがなドリル等から松木が誰かに文字を教えていた、ということが分かります。
以前見つけていた『菅井 天音』という女性への手紙。
これは文字を教えている「いっちゃん」が書くための下書き。
あだ名や読み仮名がミスリードですが、この二人はもうすでに登場している人物です。
「菅井天音」=まおさん。
「いっちゃん」=岩井樹。
障害と自己申告について考える
この物語で考えさせられるのが、障害への考え方です。
世界には数々の障害があり、それにも重度や軽度があり、その全てを彼らに会う前に知っているということは不可能ではないかとすら思われます。
清瀬のカフェで働いている品川さんは「ADHD」(注意欠如・多動性障害)でした。
しかしそれは店長である清瀬に知らされておらず、繰り返すミスを「不注意ややる気のなさ」と清瀬は認識していました。
まず何故品川さんは自らが「ADHD」であると言わなかったのか?
店長みたいな人たちって、このこと知ると相手をただの『障害のある人』っていうカテゴリでしか見なくなる…
その結果、仕事を制限されて任せてもらえないのが嫌だと、品川さんはそう言います。
「店長みたいな人」っていうのもカテゴリで見ている気はしますが…
しかし「申告しない」という選択肢があるということはなかなか難しい問題です。
私が清瀬側だったならば、「申告してくれた方が適切な対応ができた」と思います。
しかし品川さんは「申告した」過去がうまくいかなかったから、「申告しなかった」。
そして迷惑をかけていると感じながらも「申告しない」ことで上手くいく可能性に賭けた。
何にも言えませんね。
自分の働く場所が、より居心地よくやりがいのある場所であるように動く。
それは大切な向上心故の行動ではないでしょうか?
いっちゃんの障害と母親
登場するもう一つの障害。それはいっちゃんのディスレクシア(発達性読み書き障害)です。
聞いたことない病名でした。
文字を上手く書けない障害。
これを知りながらいっちゃんに文通を持ちかけた天音の思想もグロテスクですが、より印象深かったのはいっちゃんの母親の対応です。
「この子な、昔からこんな字しか書かれへんねん、おかしいやろ」……
親というものはときどき平気な顔で、人前で自分の子どもを貶します。
謙遜のつもりなのでしょうか?自分のこどもを自分の一部みたいに思っているのかもしれません。
残酷な、悪気のない言葉。
この年の本屋大賞ノミネート作を5冊読みましたが、そのうち3冊に親(特に母親)に対して、子供から思う所が出てきています。
ここまで取り上げられるということは、やはり多くの人が母親に不満や問題を感じているのでしょう。
肉親とは難しいものですね。
蝉の死骸に感情を向けるか
同時に、痛ましいような気分にもなります。
蝉の死骸など目にとめることなく歩ける方が、あるいは目に留まっても別段心を動かされぬ人間の方が、人生はたぶんずっと容易いもの。
それでも清瀬は、これからも蝉の死骸に気づく人間でありたい。
自分以外の存在の悲しみに思いを馳せられる人間に……
考えさえられた清瀬の考えです。
優しさの矛盾
いっちゃんを人前で当たり前のように貶したいっちゃんの母親。
しかし清瀬から見れば、その母親は清瀬は「他者を思いやれる人」でした。
これは別に清瀬の勘違いではなく、岩井の母は息子と結婚しているわけでもない天音を家に置いたり、客観的に見ればかなり温かみのある人物です。
それがどうして「家族」となったときに対応が変わってしまうのか。
蝉に感情を砕いて、息子を貶す。そんなこともある。
これは物語なわけですが、こういう人間の不可思議な面に対してどうも恐怖を感じてしまいます。
清瀬に共感できるか
清瀬は尊い考え方を持っています。
無神経に人の想いを踏みにじるより、他人の悲しみに思いを馳せたい。
さぁ、これに自分は共感できるのか?
これを一度立ち止まって考えてみたいと思いました。
「蝉の死骸を気にしない方が人生は楽」という反する考えにも共感を覚えましたが、この二つの考え、あなたはどちらの共感を優先して行動しますか?
ここには単純ではない問いが存在しています。
蝉(他者)の痛みを考えたところで完全には理解できないし、救えるわけではありません。
合理性を考えると、「助けられるものだけに心を砕く」という選択肢を取ってしまいそうですが、それを全員がすると世界平和も貧困もなくならないなと反省し……頭が痛いです。
戦争のニュースを見て心を痛めることは尊い感情ですが、それで機嫌を悪くして周りを不快にすればどうか?
心を痛めるだけで行動しないのは?自己満足で終わっても、考えないよりいいのか?しかし考えなければ始まらない……
……………
応えの出ない問い、今実行していない方を一度実行してみようと思います。そうすれば見えてくるものがあるでしょうか?
まとめ
『川のほとりに立つ者は』をまとめると……
- 発達障害や他者との関わり方を考えさせる深いテーマ。
- 主人公・清瀬が元カレの秘密を知る中で、他人の心に寄り添う難しさを描く。
- 物語は恋愛や推理要素も混じりつつ、他者を思いやる優しさについての葛藤が中心。
- 特に登場人物「まおさん」の不可解な行動が、物語にスリルを与える重要な要素。
- 「人を傷つけない方法」について、考えさせられる一冊。
ということでした。
他者の心に寄り添うことの難しさや、優しさの矛盾に向き合う物語です。
是非読んでみてください!
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