山月記でも有名な文豪・中島敦の短編『文字禍』(読み方:もじか)。
ゲシュタルト崩壊をファンタジー化したような、奇妙な物語です。
この記事ではこの『文字禍』について解説。
- 簡単で分かりやすいあらすじ
- 気になる箇所の解説(どこまでファンタジー?等)
- 個人的な感想
をまとめています。
目次
あらすじを簡単に要約

アッシリアの時代、アシュル・バニ・アパル大王の宮廷で、不思議な噂が広がっていました。
「王の図書館から、夜な夜な怪しい囁き声が聞こえてくる」
調査すると「これは精霊の声ではないか?」という話に。
それも普通の精霊ではなく、どうやら「文字そのもの」が喋っているようなのです。
そこで、大王はナブ・アヘ・エリバ博士という学者に、この謎の研究を命じました。
図書館でめぼしい書物が見つけられなかった博士は、「自分で解明するしかない」と、一つの文字をじーっと凝視し続けました。
すると、不思議なことが起こります。
最初は普通の文字だったものが、ただの線の集まりにしか見えなくなってきたのです。
「なぜこれに意味があるんだ? これはただの線じゃないか?」
そんな疑問が頭から離れなくなったは、一つの結論に辿り着きます。
「文字には霊が宿っている」
つまり文字は、単なる記号が精霊の力によって意味を持たされているのだと考えたのです。
博士はさらに調査を進め、文字を学んだ人々の身体や感覚に異変が起こることを突き止めました。
- シラミを捕まえるのが下手になった
- 空の色が前より青く見えなくなった
- 記憶力が悪くなった
- 女を抱いても前ほど楽しくない
これは「文字の霊の影響」ではないか?
「文字は影のようなもので、本物の経験や知識を奪ってしまうのではないか?」
そんな仮説をたてた博士は、大王に「このまま文字を崇拝し続けていると、アッシリアは滅びます」という報告書を提出しました。
これに文字を崇拝する文化人だった大王は大激怒!
博士を謹慎処分にしてしまいます。
さらに数日後大地震が発生し、自宅の書庫にいた博士は大量の粘土板(古代の書物)に押しつぶされて死亡。
まるで「文字の霊が復讐した」かのような最期を迎えたのでした。
疑問点を解説

文字禍はかなり不思議な物語でした。
以下、読んでいて気になってしまう箇所の解説です。
文字の精霊=ゲシュタルト崩壊のこと?

作中で博士が陥った「一つの文字をじーっと凝視し続けたら、文字がただの線の集まりにしか見えなくなった」という現象ですが、
これはまさしくゲシュタルト崩壊のことでしょう。
ゲシュタルト崩壊とは?
- 同じ文字や図形を長時間見つめ続けると、脳が「この形はもう見慣れたな」と判断し、今までとは違う見方をしようとする。
- 文字を見ると通常、意味や発音もセットで脳に入るが、見続けるとそれも頭から離れてしまう。
➡次第に「ただのバラバラの線の集まり」にしか見えなくなる。
創作当時『ゲシュタルト崩壊』の概念は知られていたの?

ゲシュタルト崩壊という概念が確立されたのは、中島敦の『文字禍』が書かれた後 です。
項目 | 年代 | 内容 |
---|---|---|
ゲシュタルト心理学の確立 | 1910年代~1930年代 | マックス・ヴェルトハイマー、ヴォルフガング・ケーラー、クルト・コフカらによってゲシュタルト心理学が提唱される。 |
『文字禍』の発表 | 1942年(昭和17年) | 中島敦が『文字禍』を発表。文字を長時間見つめることで、線の集合としてしか認識できなくなる現象を描写。 |
ゲシュタルト崩壊の概念が登場 | 1950年代~ | ゲシュタルト崩壊(Gestaltzerfall)が心理学の研究対象として言及されるようになる。 |
ゲシュタルト崩壊の研究の進展 | 1980年代~ | 日本の心理学研究でも、漢字や図形のゲシュタルト崩壊についての研究が進む。 |
つまり中島敦は、ゲシュタルト崩壊という心理学的概念を知っていて書いたわけではなく、
自分で見つけて現象を描写したと考えられます。
その後心理学が発展し、後付けで「これはゲシュタルト崩壊の描写ではないか?」と解釈されるようになった可能性が高いです。
どこまでが創作でどこからが史実なの?

さらに気になるのが、この作品はどこまでファンタジーなの?史実も混ざっているの?ということです。
実際両方が混在しているため、簡単に表にまとめました。
項目 | 真実/創作 | 説明 |
---|---|---|
アシュル・バニ・アパル大王 | 真実 | 実在のアッシリア王で、大規模な図書館を築いた。 |
シャマシュ・シュム・ウキンの反乱 | 真実 | 紀元前652年、バビロン王シャマシュ・シュム・ウキンが反乱を起こしたが敗北した。 |
ニネヴェ図書館 | 真実 | アシュル・バニ・アパルが建設した世界最古の図書館。 |
楔形文字と粘土板 | 真実 | メソポタミアで使用されていた書記システム。粘土板に刻まれた楔形文字が使われた。 |
ナブ・アヘ・エリバ博士 | 創作 | 中島敦の創作であり、実在しない人物。 |
文字の霊の存在 | 創作 | 歴史的記録にはなく、フィクションの概念。 |
書物を飲む老人の話 | 創作 | 寓話的な表現であり、実際の歴史には存在しない。 |
文字を学ぶと体調が悪化する話 | 創作 | 科学的根拠はなく、創作の設定。 |
文字に親しみすぎると現実認識が狂う話 | 創作 | 心理学的に似た現象はあるかもしれないが、創作の範囲内。 |
感想

最初読んだ時は戸惑いましたが、意味が解ってくると面白い話です。
ゲシュタルト崩壊を自分で体感して、こんなことを考えたのか!と中島敦の発想力のとんでもなさを感じてしまいますね。
考えてみるとコレ↓も理屈づけできます。
博士はさらに調査を進め、文字を学んだ人々の身体や感覚に異変が起こることを突き止めました。
- シラミを捕まえるのが下手になった
- 空の色が前より青く見えなくなった
- 記憶力が悪くなった
- 女を抱いても前ほど楽しくない
「シラミ」「空の色」は文字を勉強したため視力が低下した…あるいは集中力を使い切った等が考えられます。
「記憶力低下」は、文字でメモを取れる安心感があれば、覚えなければいけない危機感は低下するでしょう。
「女を抱いても…」は、文字、ひいては文学に興味が出て女への好奇心が薄まった、或いは色々と考えることが増えて集中できなくなったなどが考えられます。
考察するのも楽しいですね。
それにしても、最初はオカルトかと思ったんですが「あれ、これちょっと分かるかも…?」となってくる面白い話です。
博士の言う「文字に支配されると、人間は本物を感じられなくなる」というのは、考えさせられる言葉。
SNSとかネットの記事ばっかり読んで、実際に何かを体験する機会が減るのは、ある意味「文字の霊」に支配されてるということではないでしょうか?
まとめ

文字の精霊とは?
- 文字がただの記号ではなく、意味を持つのは「精霊」の存在によるものと博士は考えた。
- 文字を学ぶことで、人の感覚や体験が変化するという仮説が描かれる。
ゲシュタルト崩壊との関係
- 文字を見つめ続けると、ただの線の集まりにしか見えなくなる現象が描かれる。
- これはゲシュタルト崩壊とよく似ている。
どこまでが史実?
- 大王やニネヴェ図書館などは史実。
- 文字の霊や博士の話は創作。
現代にも通じるテーマ
- 文字に支配されると、本物の体験が薄れるという問題提起がある。
- SNSやネットの影響と重なる部分がある。
皮肉な結末
- 文字を研究した博士が、本に押しつぶされて死亡。
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