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濠端の住まい(読み方:ほりばた)のあらすじ・解説・感想。志賀直哉

古典名著

志賀直哉の短編小説『濠端(ほりばた)の住まい』。

こちらに収録。青空文庫は2042年元旦予定

争いを避け、自然の生活に逃れる男の物語です。鶏や猫への感傷が印象的。

この記事では簡単なあらすじと解説、感想をお届けします。

『濠端の住まい』の簡単なあらすじ

濠端

私は町はずれの濠に臨んだささやかな家で、簡素な暮らしをしていました。

家守や蛙、濠を泳ぐフナや鯉が身近にいる生活でした。

となりは若い大工の夫婦で養鶏をやっており、庭に境が無い為、鶏(にわとり)が私の家の庭にもやってきました。

観察するとヒナたちが母鶏の真似をしたり、雄鶏(おんどり)が家長らしく威厳をもっていたりと面白いものでした。

ある雨が降った日。
夜中に小説を読んでいると、鶏小屋からけたたましい声がしました。

大工夫婦も出てきて怒鳴ったり立ち話をしたりしていましたが、しばらくして家に入ったようでした。

そして翌朝、おかみさんから「母鶏が猫に殺された」ということを聞きます。

孤児になったヒナ鶏たちを、他の親が世話をしてくれることはありませんでした。

死んだ母鶏は、夫婦のおかずとなりました。

そして次の晩、母鶏を殺した猫が罠にかかりました。
夫婦は明日、濠に沈めてやると言います。

捕らえられた猫は一晩、暴れるのと哀れっぽい鳴き声で嘆願するのを交互にやった後、諦めたように静かになりました。

その声を聞いていた私は、「助けてやりたい」「雨で鶏小屋の蓋を締め忘れた夫婦にも落ち度があるのではないか」と思いましたが、結局何もできませんでした。

それも仕方のないことだと思われました。

翌朝起きると、猫は既に殺されて埋められていました。

【解説】書かれた背景や話のポイントは?

大正14年の日本

ここからは、あらすじだけでは分からない、物語が書かれた時代背景や話のポイントをまとめていきます。

どんな作品?書かれた時期と特徴

母鶏とヒナ鶏

『濠端の住まい』 は、志賀直哉が 京都・山科(やましな) に住んでいた頃に書かれた作品です。
(大正14年1月『不二』に掲載)

しかし、作中で描かれているのは 大正3年の松江での生活。つまり、実際の出来事から9年以上たってから書かれた話 となります。

この作品の特徴は、

  • 孤児になったヒナ鶏の哀れさを想う
  • 殺された母親の悲しさを想う
  • しかし、犯人の猫ですら「かわいそう」と思えてしまう

という、感情の移り変わりです。

この 「一方的に誰かを悪者にできない感じ」 が、この作品の独特な雰囲気を作っていると言えるでしょう。

私小説?実体験が含まれている

ずぶ濡れになる志賀

この作品の舞台になってる 松江時代 の志賀について、里見弴(さとみとん) がこんなことを書いています。

「志賀さんは、風雨の日にずぶ濡れになって歩き回っていた。」

あらすじからは省きましたが、「私」も母鶏が亡くなる日にずぶ濡れになりながら歩き回っています。

つまり、この作品の描写は 実体験そのもの だったわけです。

(作者が直接に経験したことがらを素材にして、ほぼそのまま書かれた小説=私小説

では別段用事が無いにもかかわらず、どうしてこんなことをしたのか?

  • 雨の中を歩き回って、気分が晴れた
  • ずぶ濡れになりながら、水蓮の美しさを発見して喜んだ

雨の中を歩いた「私」が得られたのはこれらのもの。

つまり、都会の人間関係に疲れた「私」は、自然によって救われているのです。

広い視点で物事を見る

捕らえられた猫

また、作品の中で印象的なのがこの言葉です。

「たまたま、強雨で、箱の蓋を閉め忘れたために襲われたということは、猫が悪いよりも、忘れた者の落度と見る方が本当なのだ。」

鶏に愛着があったにもかかわらず、「猫が悪い!」 ではなく 「そもそも蓋を閉め忘れた人間の責任では?」 という視点を持っている私。

これはもしかすると、

  • 「争いの本当の原因はどこにあるのか?」
  • 「一方的に誰かを責めるのではなく、もっと広い視点で見るべきでは?」

という事を伝えたいのではないか?とも思われます。

ちょうどこの作品が書かれた時期、有島武郎という人物が自殺しました。

志賀直哉と同じ「白樺派」の人物で、お互い影響を与えあう存在だった有島と志賀。

有島は階級闘争 (資本家と労働者などの闘争。社会化運動)にも深く関わっていた人物でした。

何が悪で何が正しいのか。しかし分かったところでどうにもできないことがある……

この作品には、そんな当時の社会の雰囲気が反映されているような感じもします。

争いを避ける主人公

この作品の主人公は、「人間同士の争いに巻き込まれたくない」 という気持ちが強い人物です。

「人と人との交渉で疲れ切った都会の生活」 から逃れて、
「虫と鳥と魚と水と草と空」 を眺めて慰められる。

この構図は 志賀直哉そのもの です。

ですがこの作品は、単なる 「田舎暮らし最高!」 という話ではありません。
もっと 「逃避の要素」 が感じられます。

  • 争いから離れたい
  • でも、完全に無関係ではいられない

そんな葛藤が、作品の奥に流れています。

感想

濠を泳ぐ鯉

「争いを避けて自然の中で暮らしたいけど、現実はそう甘くないよね」と感じてしまうお話でした。

隣の大工夫婦の鶏が猫に襲われたり、その猫が罠にかけられて処分されたりで、結局「争い」から完全に逃れることはできないのだなぁと……。

しかし主人公が「猫を助けてあげたい」と思っても、結局何もしないところは印象的。

鶏を襲ったのは猫だけど、そもそも夫婦が鶏小屋の蓋を閉め忘れたせいでもあるし、「誰が悪いか」って簡単に決められない。この感じがなんともリアルですね……。

まとめ

  • 都会に疲れた主人公 が、自然の中で静かに暮らそうとする話。
  • でも、 隣人の鶏 vs 猫の事件 に巻き込まれ、争いから完全に逃れることはできない。
  • 猫が鶏を襲ったけど、 本当に悪いのは誰? → 蓋を閉め忘れた人間にも責任があるかも?
  • 主人公は 猫を助けたい気持ち もあったけど、結局何もしない。
  • 「世の中、白黒ハッキリつけられないことばっかだよね」 というリアルなテーマ。
  • ただの田舎暮らしエッセイじゃなくて、 争いと距離をとることの難しさ を描いた作品だった。
こちらに収録。青空文庫は2042年元旦予定

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