宮沢賢治の童話「黄いろのトマト」。
幼い兄妹ペムペルとネリが体験する切ない物語……を、蜂雀が「私」に語ります。
この記事では
- あらすじを簡単に要約
- 不整合・難しい点を分かりやすく解説
- 個人的な読書感想
をお届けしていきます。
目次
あらすじを簡単に要約
子どもの頃、私は開館前の博物館で、展示された蜂雀から「かわいそうな兄妹」の話を聞きました。
その兄妹・ペムペルとネリは、二人だけで仲良く暮らし、畑で育ったトマトの中に、珍しい黄色い実がなるのを見つけ、それをまるで黄金のように大切にしていました。
ある日、兄妹は聞こえてきた魅力的な音に誘われて、サーカスにたどり着きます。
そこで、他の人たちが金銀の硬貨を渡して入場する様子を見ました。
兄妹も大切な黄色いトマトを差し出して入ろうとしましたが、サーカス側に拒絶され、そのトマトは投げ返されてしまいます。
笑い物にされて悲しみに暮れた兄妹は、泣きながら家に帰っていきました。
蜂雀が語るこの悲しい話に、私も思わず涙を流したことを今でも思い出します。
分かりやすく解説
この物語は、川村俊雄が大正十三年の春に手書きで筆写したもので、後に宮沢賢治の自筆清書と合わせられ、現在の形に整えられました。
しかし、物語にはいくつかの不整合あり、読者にとって理解しにくい部分があります。
ここから不明点等を補足・解説していきますので、是非参考にしてみてください。
いつでも退会できます。
いつの間にか両親が亡くなっている!?
まず不整合な点です。
物語のはじめの方には「ペムペルとネリは毎日お父さんやお母さんたちの働くそばで遊んでいた」と記されているにも関わらず、
その後の展開では、兄妹の周囲に大人がいない設定が続いています。
これはもしかすると、失われた原稿の中で兄妹の両親の死について語られていた可能性があります。
童話っぽさに悩んだ跡
賢治はもともと、兄妹が「青いガラスの家」で二人だけで楽しく暮らすという非日常的で超現実的な世界を描こうとしていました。
しかし、物語の中で農作業の描写を具体的に書きすぎてしまったため、兄妹が農作業を行う姿が強調されてしまいました。
そのため、賢治は物語を修正し、兄妹を「農作業とは無縁な、ただ遊ぶだけの子ども」に戻そうとしたとか……
ちなみに同じく蜂雀が出る作品で、100%ファンタジーな賢治作品がこちらです🔻
十力の金剛石|あらすじと解説【宮沢賢治の童話】ダイヤモンドの世界
「博物局十六等官」との関係
また、物語に関連する現存稿の表紙には「博物局十六等官/キュステ誌」という記述があります。
戯曲「ポランの広場」にも登場するキュステは、子ども側に立つ大人として描かれており、この背景を理解すると、「黄いろのトマト」の「私」もまた、喪失を乗り越えようとしている姿が浮かび上がります。
これを考慮すると、大人になった「私」が物語を通して幼少期の痛みを再確認し、すでに次のステップへと進もうとしていることが読み取れます。
「私」の二重の悲しみによる涙
「黄いろのトマト」は、兄妹の物語を蜂雀が語り、さらにそれを「私」が回想するという「入れ子構造」となっています。
なぜ「私」が兄妹の話を回想するのか?
蜂雀もまた、自らの生前の記憶として兄妹の「かわいそうな物語」を語っています。
黄色のトマトを失った兄妹の喪失感は、蜂雀にとっても取り返しのつかないもの。
この喪失感が蜂雀の物語を通して「私」に伝わり、学童期の「私」はその悲しさに涙しますが……
「私」が激しく泣いたのは、実は蜂雀が話を終えて沈黙し、まるで「硬く死んだように」見えた瞬間です。
「私」は、蜂雀との交流が永遠に失われたと感じたのでしょう。
これにより「私」は「喪失」の体験が二重になっており、大人になった「私」もまだなお喪失感に引き寄せられています。
この作品の伝えたいこととは?
「黄いろのトマト」では、ペムペルとネリの物語だけで成り立っているわけではありません。
幼い兄妹が、トマトを黄金のように大切に思い、大人に拒否されてしまう悲しみが描かれています。
これは、子どもが初めて「異なる価値観の世界」を認識する瞬間を表しています。
宝物を差し出したのに笑われる。
それを助けてくれる人が一人もいない、大人の世界……
ドライな現実に対する批評、として、この物語は描かれている節があります。
読んだ感想
テイストとしては十力の金剛石に似ているなぁと感じました。
蜂雀再登場ですし、「ペムペムとネリ」って青い鳥の「チルチルとミチル」をイメージさせますが、十力の金剛石も青い鳥を思い浮かべました。
それにしても、子どもならではの純粋な気持ちが、大人の世界で打ち砕かれる瞬間……
綺麗な世界観で残酷なストーリーです。
一人くらい「よし、私が払ってあげるから一緒に入ろう」という大人が現れてもいいじゃないですかねぇ。
主な登場人物が、心がきれいな人達で構成されているのが印象的な童話でした。
まとめ
- ペムペルとネリが大切にしていた黄色のトマトを差し出すも、拒絶される悲しい物語
- 賢治は物語の中で兄妹を「ただ遊ぶ子ども」に戻そうとした形跡がある
- 物語に隠された「喪失」と「成長」が、蜂雀とのやりとりを通して表現されている
- 「私」の涙には、兄妹の喪失と蜂雀との交流の喪失が重なっている
是非、読んでみてください!
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