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八つ墓村元ネタ2つ解説。尼子落ち武者惨殺・32人殺しモデル事件

八つ墓村元ネタ2つ解説。尼子落ち武者惨殺・32人殺しモデル事件 小説・実用書

この記事では『八つ墓村』原作小説に出てくる

  • 尼子の落ち武者8人が、埋蔵金を埋めた後惨殺された事件
  • 田治見要蔵が村人32人を殺害した事件

について元ネタを解説。

どこまで実話なのか?モデルとなった場所は?など、できるだけ簡単に解説していきます。

→原作の相関図入りあらすじはこちら

尼子の落ち武者惨殺と埋蔵金伝説

まずは『八つ墓村』という名前の由来……

「8人の落ち武者が村人に惨殺され、その後祟りを恐れて8つの墓が建てられた。

彼らが持っていた三千両の黄金は見つからず、埋蔵金伝説として残っている。」

という部分についての

歴史解説を交えた原作描写のおさらい→モデルについての解説です。

原作描写のおさらい&歴史解説

永禄えいろく9年(1566年)、出雲の戦国大名・尼子義久あまこよしひさは、毛利元就もうりもとなりとの戦いに敗れました。

しかし降伏を受け入れられなかった8人の落ち武者は、三千両の黄金を持ち、八つ墓村(当時は違う名前)に逃げ延びます。

8人を温かく迎えた村人たち。

落人おちうどたちは炭焼きをしながら暮らし、いざというときには鍾乳洞へ隠れようと考えていました。
(※村などに身を隠した落ち武者は「落人」と呼ぶ)

炭焼きとは?図解
木を切って、窯で蒸し焼きにすると木炭が完成する。

ところが毛利方の捜索が厳しくなると……

落人をかくまう

バレると自分たちも毛利方に罰せられるのでは?

それより落人を殺してしまえば、恩賞と黄金が手に入るのでは?

と、村人たちが考えだします。

そして炭焼き小屋を取り囲んで火を放ち、山刀や竹槍で8人を惨殺しました。

(この時の首謀者が田治見庄左衛門たじみしょうざえもん

結果、毛利方から恩賞をもらえた村人たち。

しかし落人たちが隠したはずの、三千両の黄金は見つかりませんでした。

こうして八つ墓村には、「祟りを恐れての8つの墓」と、「鍾乳洞に眠る埋蔵金伝説」が残されたのです。

落人襲撃のモデルは「七人塚伝説」か

8人の落ち武者

「8人の落ち武者」のモデルはあるのか?
著者が明言しているわけではないのですが、下記の本によると

岡山県新見市周辺に伝わる「七人塚伝説」が取り入れられたのでは?

というのがかなり有力です。

7人塚伝説

戦国時代、成羽城なりわじょうの三村氏が、塩山城を治める多治部雅楽守たじべうたのかみに攻め込んできました。

そこで多治部方に味方したのが、地元の百姓である小谷庄右衛門こたにしょうえもん山本久右衛門やまもと きゅうえもん

2人は三村氏の家来7人を討ち取り、塩山城を守りました。

共通点▼

七人塚伝説八つ墓村
多治部雅楽守
小谷庄右衛門
田治見庄左衛門
武士7人を殺害
→七人塚に埋葬
落人8人を殺害
→八つの墓を建てる
毛利・尼子の争いが背景左に同じ

さらに言うと、

元々『八つ墓村』ではなく『七つ墓村』というタイトルだった

作者の関係者二人が証言。読み方を考えて連載直前に変更された。

1977年映画版『八つ墓村』では、なぜか田治見家ではなく多治見家となっている

作者が生前、モデルについて映画関係者に話しており、元ネタである「多治部」に近づけられたのでは?

という話もあります。

鍾乳洞・埋蔵金伝説の元ネタは?

鍾乳洞にある3000両の大判

モデルとなった鍾乳洞・埋蔵金伝説(宝の場所を記した歌など)を、横溝正史は特に明かしていません。

しかし先述した「七人塚伝説」が伝わっている岡山県新見市(岡山県の北西端)が、全国有数の鍾乳洞地帯であり、

映画版八つ墓村のロケ地として何度も利用されています。

また、鍾乳洞については横溝自身が『鍾乳洞殺人事件』に影響を受けたと言っています。

田治見要蔵の32人殺しに元ネタはある?

多治見要蔵イメージ

次に「田治見要蔵による32人殺し」ですが、これには明確にモデル事件があります。

昭和13年(1938年)に岡山県で起きた津山事件です。
「津山三十人殺し」とも呼ばれています。

津山事件の30人殺し

横溝正史が小説向けに脚色

田治見要蔵の32人殺し

かなり事件そのままの描写も多いですが、被害者数や犯人の設定、事件が起きた年代などは原作と実話で異なります▼

『八つ墓村』実際の津山事件
犯人田治見要蔵都井睦雄
時代大正時代昭和13年(1938年)
犠牲者32人30人
場所架空の八つ墓村岡山県の旧西加茂村
犯人の結末地下道で殺害山中で自殺

岡山県の「津山事件」をもっと詳しく

未明の村イメージ

津山事件をもっと詳しく解説しましょう。

昭和13年(1938年)5月21日未明に起きた事件で、場所は当時の岡山県苫田郡西加茂村大字行重

現在の地名では、岡山県津山市加茂町行重にあたります。

犯人は、当時21歳だった都井睦雄(とい・むつお)。

集落の電線を切って周囲を暗闇にしたあと、猟銃や日本刀などを持って家々を襲い、約1時間半のうちに村人30人を殺害しました。

ほかに3人が負傷し、都井自身も事件後に自殺しています。

このため、津山事件では犯人を含めて31人が死亡しています。

頭に懐中電灯をつけた姿も実話

ナショナルの懐中電灯2本

田治見要蔵は頭にナショナル(今でいうパナソニック)の懐中電灯を2本つけた、異様な姿で描かれていますが……

実は、この格好も横溝正史が一から創作したものではありません。

津山事件の犯人も、鉢巻きに2本の懐中電灯を固定し、胸にも明かりを下げていたとされています。

電線を切った暗い集落の中で、周囲を照らしながら行動するための装備でした。

頭の懐中電灯から武器、事件後の行動まで多くの共通点があります。

→八つ墓村で「頭にろうそく」という誤解があるのはなぜ?

横溝正史は津山事件をどう知った?

防犯展イメージ

では横溝正史は、1938年に起こった津山事件を連載開始(1949年)までにどうやって知ったのでしょうか?

太平洋戦争の終結後、横溝正史は岡山県で疎開生活を送っていました。

その中で1948年の春、岡山市内の百貨店で開催された「防犯展」に招かれ、津山事件の現場写真を目にします。

現在ならモザイクがかけられるような、事件現場や犠牲者を写したモノクロ写真の展示。

それが横溝の記憶に強く残り、インスピレーションとなりました。

この記事の要点まとめ

【元ネタ① 尼子の落ち武者8人惨殺】

  • モデルは、新見市周辺に伝わる「七人塚伝説」が有力
  • 「武士の殺害・墓・多治部という名前・毛利と尼子の争い」など共通点が多い
  • 鍾乳洞・埋蔵金伝説そのもののモデルは特定されていない

【元ネタ② 田治見要蔵の32人殺し】

  • モデルは1938年に岡山県で起きた「津山事件」
  • 犯人が鉢巻きに2本の懐中電灯をつけた姿なども実話と共通する
  • 横溝正史は戦後、岡山県で津山事件の資料を目にしている

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