この記事では『八つ墓村』原作小説に出てくる
について元ネタを解説。
どこまで実話なのか?モデルとなった場所は?など、できるだけ簡単に解説していきます。
尼子の落ち武者惨殺と埋蔵金伝説
まずは『八つ墓村』という名前の由来……
「8人の落ち武者が村人に惨殺され、その後祟りを恐れて8つの墓が建てられた。
彼らが持っていた三千両の黄金は見つからず、埋蔵金伝説として残っている。」
という部分についての
歴史解説を交えた原作描写のおさらい→モデルについての解説です。
原作描写のおさらい&歴史解説
永禄9年(1566年)、出雲の戦国大名・尼子義久は、毛利元就との戦いに敗れました。
しかし降伏を受け入れられなかった8人の落ち武者は、三千両の黄金を持ち、八つ墓村(当時は違う名前)に逃げ延びます。
8人を温かく迎えた村人たち。
落人たちは炭焼きをしながら暮らし、いざというときには鍾乳洞へ隠れようと考えていました。
(※村などに身を隠した落ち武者は「落人」と呼ぶ)

ところが毛利方の捜索が厳しくなると……
落人をかくまう
↓
バレると自分たちも毛利方に罰せられるのでは?
↓
それより落人を殺してしまえば、恩賞と黄金が手に入るのでは?
と、村人たちが考えだします。
そして炭焼き小屋を取り囲んで火を放ち、山刀や竹槍で8人を惨殺しました。
(この時の首謀者が田治見庄左衛門)
結果、毛利方から恩賞をもらえた村人たち。
しかし落人たちが隠したはずの、三千両の黄金は見つかりませんでした。
こうして八つ墓村には、「祟りを恐れての8つの墓」と、「鍾乳洞に眠る埋蔵金伝説」が残されたのです。
落人襲撃のモデルは「七人塚伝説」か

「8人の落ち武者」のモデルはあるのか?
著者が明言しているわけではないのですが、下記の本によると
岡山県新見市周辺に伝わる「七人塚伝説」が取り入れられたのでは?
というのがかなり有力です。
戦国時代、成羽城の三村氏が、塩山城を治める多治部雅楽守に攻め込んできました。
そこで多治部方に味方したのが、地元の百姓である小谷庄右衛門と山本久右衛門。
2人は三村氏の家来7人を討ち取り、塩山城を守りました。
共通点▼
| 七人塚伝説 | 八つ墓村 |
|---|---|
| 多治部雅楽守 小谷庄右衛門 | ➡田治見庄左衛門 |
| 武士7人を殺害 →七人塚に埋葬 | 落人8人を殺害 →八つの墓を建てる |
| 毛利・尼子の争いが背景 | 左に同じ |
さらに言うと、
作者の関係者二人が証言。読み方を考えて連載直前に変更された。
作者が生前、モデルについて映画関係者に話しており、元ネタである「多治部」に近づけられたのでは?
という話もあります。
鍾乳洞・埋蔵金伝説の元ネタは?

モデルとなった鍾乳洞・埋蔵金伝説(宝の場所を記した歌など)を、横溝正史は特に明かしていません。
しかし先述した「七人塚伝説」が伝わっている岡山県新見市(岡山県の北西端)が、全国有数の鍾乳洞地帯であり、
映画版八つ墓村のロケ地として何度も利用されています。
また、鍾乳洞については横溝自身が『鍾乳洞殺人事件』に影響を受けたと言っています。
田治見要蔵の32人殺しに元ネタはある?

次に「田治見要蔵による32人殺し」ですが、これには明確にモデル事件があります。
昭和13年(1938年)に岡山県で起きた津山事件です。
「津山三十人殺し」とも呼ばれています。
津山事件の30人殺し
↓
横溝正史が小説向けに脚色
↓
田治見要蔵の32人殺し
かなり事件そのままの描写も多いですが、被害者数や犯人の設定、事件が起きた年代などは原作と実話で異なります▼
| 『八つ墓村』 | 実際の津山事件 | |
|---|---|---|
| 犯人 | 田治見要蔵 | 都井睦雄 |
| 時代 | 大正時代 | 昭和13年(1938年) |
| 犠牲者 | 32人 | 30人 |
| 場所 | 架空の八つ墓村 | 岡山県の旧西加茂村 |
| 犯人の結末 | 地下道で殺害 | 山中で自殺 |
岡山県の「津山事件」をもっと詳しく

津山事件をもっと詳しく解説しましょう。
昭和13年(1938年)5月21日未明に起きた事件で、場所は当時の岡山県苫田郡西加茂村大字行重。
現在の地名では、岡山県津山市加茂町行重にあたります。
犯人は、当時21歳だった都井睦雄(とい・むつお)。
集落の電線を切って周囲を暗闇にしたあと、猟銃や日本刀などを持って家々を襲い、約1時間半のうちに村人30人を殺害しました。
ほかに3人が負傷し、都井自身も事件後に自殺しています。
このため、津山事件では犯人を含めて31人が死亡しています。
頭に懐中電灯をつけた姿も実話

田治見要蔵は頭にナショナル(今でいうパナソニック)の懐中電灯を2本つけた、異様な姿で描かれていますが……
実は、この格好も横溝正史が一から創作したものではありません。
津山事件の犯人も、鉢巻きに2本の懐中電灯を固定し、胸にも明かりを下げていたとされています。
電線を切った暗い集落の中で、周囲を照らしながら行動するための装備でした。
頭の懐中電灯から武器、事件後の行動まで多くの共通点があります。
横溝正史は津山事件をどう知った?

では横溝正史は、1938年に起こった津山事件を連載開始(1949年)までにどうやって知ったのでしょうか?
太平洋戦争の終結後、横溝正史は岡山県で疎開生活を送っていました。
その中で1948年の春、岡山市内の百貨店で開催された「防犯展」に招かれ、津山事件の現場写真を目にします。
現在ならモザイクがかけられるような、事件現場や犠牲者を写したモノクロ写真の展示。
それが横溝の記憶に強く残り、インスピレーションとなりました。
この記事の要点まとめ
【元ネタ① 尼子の落ち武者8人惨殺】
- モデルは、新見市周辺に伝わる「七人塚伝説」が有力
- 「武士の殺害・墓・多治部という名前・毛利と尼子の争い」など共通点が多い
- 鍾乳洞・埋蔵金伝説そのもののモデルは特定されていない
【元ネタ② 田治見要蔵の32人殺し】
- モデルは1938年に岡山県で起きた「津山事件」
- 犯人が鉢巻きに2本の懐中電灯をつけた姿なども実話と共通する
- 横溝正史は戦後、岡山県で津山事件の資料を目にしている
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