日本文学の巨匠志賀直哉と武者小路実篤(むしゃこうじ さねあつ)。
彼らは学習院の同級生から、生涯の友になりました。
文学活動を共にしながら、時にはぶつかり、時には支え合う——。
この記事では、そんな「二人は友達」エピソードを分かりやすくまとめています。
目次
学習院で出会い、親友になるまで

まずは志賀と武者が親友になるきっかけ、学習院(貴族階級を対象とした教育機関)での出来事です。
明治の学習院▼
初等科:6歳〜12歳(6年間)
中等科:12歳〜17歳(5年間)
高等科:17歳〜20歳(3年間)
出会って友人となったのが中等科、親友となったのは高等科に入ってからでした。
志賀が2度留年して同級生に!

志賀直哉(1883年生まれ)は宮城の実業家一家のボンボン。
武者小路実篤(1885年生まれ)は東京の子爵家の生まれですが、お金に余裕のない貴族でした。
二人とも小等科から学習院に通っていましたが、志賀が2回落第して武者の学年に合流したことで接点ができ、友人になります(笑)
武者も成績が悪かったようで……
卒業時の二人の成績は
志賀 | ビリから6番目 |
武者 | ビリから4番目 |
というものでした。(1学年推定30~50名くらい)
「心を打ち明けられる友達になりたい」

良い友人が多かった志賀直哉。
武者は「その中の一人」でしかありませんでした。
しかし「その距離を縮めたい」と言い出したのは志賀のほうです。
同じ学習院のスピーチクラブ(軸仁会)に所属していた二人。
あるとき英文学者の上田敏をゲストに招こうとしますが、学習院の院長に「どんな話をするか分からないからダメ!」と却下され……
上田先生に謝りに行くことになりました。
そんな帰り道のことです。
志賀は武者に
「(親友である)有島生馬が海外に行ってから、ぶっちゃけて話ができる友人がいない。だからそういう相手になってほしい」
と言い、武者はこれを驚きつつも喜んで快諾しました。
相合傘で話し続ける

そして二人は雨の中を番傘一本に入って、語り合いながら歩き続けました。
あまりに話が盛り上がりすぎて、わざと電車に乗らなかったほど。
どうやら武者も、ロシアの文学者「トルストイ」に沼っていたようですが、話せる相手がおらず寂しかったようで……
やがて二人は本の感想を手紙でやりとりするほど仲良くなり、互いの家を行き来するようになります。
また、2人は「恋の悩みを抱える者同士」でもありました。
志賀の恋愛事情に親身になって泣く武者

志賀には結婚したい相手「女中のC」がいました。しかしこれに父親が激怒。
志賀は抵抗しますが、Cは実家に連れ帰られてしまいました。
このことに親身になってくれたのが武者。
- 朝に志賀の元に来て一緒に泣き
- 夜にまた来てCの居場所を教えてくれる
という「友人のため」を地でいく人でした。
そして志賀も、武者が『お目出たき人』という小説に書かれている大失恋をしたときには……
「俺のことのように悲しい」というほど、彼の気持ちに寄り添っていました。
雑誌『白樺』創刊

二人の文学的行動についても触れていきましょう。
志賀直哉たちは後に『白樺派』と呼ばれるようになります。
これは志賀たちが刊行した雑誌『白樺』から取られたもので、
- 「人間の善意や美しさ」を描こうとする理想主義的な作風
- 西洋美術も紹介する画期的な雑誌
で、若者に大ウケしました。
『白樺』は元々、志賀・武者他学習院の友人計4名で作成した「十四日会」という文学サークルが元になっています。
そこから帰国した有馬生馬やその兄の武郎、学習院の後輩たちが加わって『白樺』が刊行されました。
しかし友人が多かったゆえなのか……志賀が、他人に同調することに疲れ、「1年間の縁切りを手紙で宣言する」ということもありました。
友情の転機:「新しき村」と志賀に借金!?

二人の関係がまた近づいたのは、2人がそれぞれ結婚して同じ千葉県・我孫子(あびこ)に移り住んだことがキッカケでした。
ところが1918年、宮崎県に「新しき村」という理想のコミューンを作りだした武者。
これは「村民みんなで農業をしながら、芸術を楽しむ」というユートピア的な村でしたが……
運営費に苦しみました。
新聞の連載で頑張って稼いでいましたが、志賀に「お金貸して!」という手紙をしょっちゅう送っていたとか(笑)
志賀はこのころ、子を亡くして打ちひしがれたり、『城の崎にて』や『和解』で評価を得ながら、武者を助けていたようです。
死ぬまで続いた友情

戦後、志賀と武者はどちらも文化勲章を受賞し、それぞれ穏やかな晩年を過ごしました。
(文化勲章……日本の文化の発展や向上に大きく貢献した人に授与される、日本最高峰の栄誉)
88歳まで生きた志賀と、90歳まで生きた武者は、最期まで仲良しおじいちゃんたちでした。
志賀が亡くなる前年、武者が送った手紙には、二人の友情のすべてが詰まっています。
直哉兄
『志賀直哉の手紙』武者小路実篤編 山本書店
この世に生きて君とあい
君と一緒に仕事した
君も僕も独立人
自分の書きたいことを書いて来た
何年たつても君は君僕は僕
よき友達持って正直にものを言う
実にたのしい二人は友達
昭和四十五年十一月十五日
実篤
まとめ:生涯の親友だった2人
- 志賀の落第から接点ができる
- 演説クラブの事件で、親友として急接近
- お互いの恋愛ごとにも親身になった
- 『白樺』を創刊し、互いに批評し合う関係に
- 武者が「新しき村」創設、志賀は何度も借金を助けていた
- 晩年も仲良しだった
志賀直哉と武者小路実篤、
実に楽しい2人は、最後まで最高の友達でした。
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