志賀直哉の短編小説『清兵衛と瓢箪』。
大正2年に書かれた、瓢箪を愛する少年の物語です。
(青空文庫に公開されるのは、没後70年後の為2042年元旦です。著作権は切れていません)
この記事では、清兵衛と瓢箪が「伝えたいこと」を解説。
簡単なあらすじや分かりにくい箇所の解説もお届けしていきます!
目次
清兵衛と瓢箪とは?あらすじを簡単に。

瓢箪(ひょうたん)を愛する少年・清兵衛 と、そんな趣味を理解しない周囲との対立を描いた物語です。
12歳小学生の清兵衛は瓢箪が好きで、とんでもなく凝っていました。
時には剥げ頭の老人の頭も瓢箪に見えてくるほどのめり込んでいました。
皮付きの瓢箪を、口を切って種を出し栓を作る…
茶渋で臭みを抜いて、父の酒の飲み残しで磨く…
そんなことも上手くできてしまう清兵衛。
しかしお気に入りの瓢箪を学校の授業中に磨いていたため、教師は酷く怒ります。
「とうてい将来見込みのある人間ではない」
清兵衛から瓢箪を取り上げ、家に小言を言いに行った教師。
それを聞いた父は、清兵衛を散々殴りつけ、清兵衛の他の瓢箪を全て割ってしまいました。
清兵衛は青くなって黙っていることしかできませんでした。
しかし教師に取り上げられた瓢箪は、下げ渡された小間使いが売りに出したところ50円で売れました。これは買値の500倍の金額で、小間使いの4か月分の給料にあたりました。
さらに骨董屋は、これを金持ちに600円で売り付けました。
そんなことは知らない清兵衛。瓢箪を諦めたようで、今度は絵を描くことに熱中しています。
まぁ、既に父親が小言を言い始めているのですが……
【解説】時代背景やポイントなど

ここからは、時代背景などが反映されて少し分かりにくいポイントを解説します。
物語の舞台は?

「清兵衛と瓢箪」は大正2年に書かれた作品です。
そして舞台は「商業地で船着き場。市にはなっていたが割と小さな土地」ということでした。
大正2年ごろは、志賀が広島の尾道に済み始めたころです。
海に近い立地からしても、この場所をモデルとした物語の可能性はありますが……明言はされていません。
10銭・50円・600円の価値とは?

大正2年の物価は今とは全然違うため、実感がわかない方も多いでしょう。
物語中に登場した金額は…
- 清兵衛が一目惚れした瓢箪…10銭
- 清兵衛が取り上げられた瓢箪を骨董屋が買い取った値段…50円(10銭の500倍)
- 骨董屋が瓢箪を売りさばいた金額…600円(10銭の6000倍)
でした。
これを現在の価値に直すとこんな感じです。
大正2年の金額 | 現在の価値(目安) | できたこと |
---|---|---|
10銭 | 約500円〜1,000円 | そば2杯、タバコ1箱、銭湯1回 |
50円 | 約25万〜50万円 | 大卒の初任給、家賃数か月分、家族の生活費1か月分 |
600円 | 約300万〜600万円 | 一戸建て購入、高級な着物、豪華な結婚式 |
清兵衛の瓢箪を何個も割った清兵衛の父は、いったいどれくらいの価値を無駄にしたのかと考えるとゾッとしますね……
ちなみに「清兵衛と瓢箪」は当時の読売新聞に掲載された作品ですが、志賀は「原稿料がめっちゃ安かった」ことをネタにしています。
「原稿料として、一編3円をもらった。これは俺の歴代最低の稿料レコードだ。」
1枚30銭くらい。これは新聞に載る作品としては破格の安さだったとか……(笑)
【考察】作者が伝えたかったこととは?

さて、この物語で志賀直哉が伝えたかったこととは何か?
実は志賀はこの作品について「書こうと思った理由」を語っています。
志賀直哉が語った執筆のキッカケ

「書こうと思った本当の理由は、父への反発だった。」
確かに父への反発心…「ひどい父親もいるもんだ」という感情は文中からも読み取れますね。
父への反発心から、志賀はこの作品を生み出しました。
しかし注意すべきなのは、志賀は私小説を良く書きますが、このネタは他人から貰ったものだということです。
志賀は「汽車の仲で、誰かがこの話をしているのを聞いて書こうと思った」と語っています。
なぜ志賀は父に反発したのか?
それは、小説を書くことについて父からめちゃくちゃ批判されていたから。
「小説なんか書いていて、お前は将来どうするつもりだ!」
これを言われたとき、志賀はこう返しています。
「馬琴(曲亭馬琴)だって小説家です。でも、あんなのはくだらない小説家です。」
志賀の父は 『八犬伝』 が好きで、馬琴をかなり評価していました。
ですが志賀は、「小説を書くことを否定するお前の好きな作家も、小説家じゃねーか!」 と返し……
『清兵衛と瓢箪』にも「馬琴」という名前を入れました。
これは読売新聞に載った作品。
「読売は親父も読んでるから、親父に読ませるつもりで書いた。」
と語っています。中々に計算高いですね(笑)。
ではこの作品で伝えたかったことは「父への反抗心」なのか?と思われますが、志賀はそれは否定しています。
「仕事の上で私怨を晴らすようなことはしたくない。」
つまり、たとえ父への反発が動機だったとしても、作品そのものは純粋な芸術として成立させるという考え方の志賀。
この姿勢こそが、志賀の小説が「個人的な話でも、多くの人に共感されるものになる」理由だと思われます。
読み取れる教訓は?

では結局この作品の言いたいこと・伝えたい事は何なのか?
やはりそれは「他人の情熱を否定するな」ということでしょう。
この作品には「自分の価値を絶対」だと信じ込んで人間性を否定したり、しつけという名の暴力を持ち出す大人が登場します。
確かに授業をサボるのはダメな事ですが、どう考えてもやりすぎでした。
自分が丹精込めて愛でていた瓢箪を壊されたとき、清兵衛は何を考えたでしょうか?
心の何かが壊れてしまったのではないでしょうか?
そのまま突き進んでいれば凄腕の瓢箪作家になれたかもしれないのに、才能はここで途絶えました。
あなたはこんなことをしてはいけない。
それをこの物語の教訓として受け取りましょう。
テスト対策:「泣けもしなかった」とは?

主人公の気持ちを読み取る問題として、清兵衛の「泣けもしなかった」とはどのような気持ちなのか?を書くものがあります。
これは教師に瓢箪を取り上げられた時の清兵衛ですね。
なぜ「泣けもしない」のか?
正解は無い問題ですが、例えば
瓢箪を取り上げられた悲しさや喪失感、もう返ってこないかもしれない不安などが混ざり、絶望ですぐに感情が追いつかなかったから
などが考えられます。
感想

もともと 「小説を書くことを批判する父への反発」 が動機でした。
しかし安い稿料しかもらえなかったというオチは、少し皮肉ですね。
ここで「小説家とは高額な原稿料が入ってくるものだ」と証明できたら完璧だったんですが…。
まぁ志賀直哉は作家として大成しているので、長い期間をかけて証明できたのではないかな?と思います。
夢を否定されたことのある人ならば、細かなところまで共感できる物語ではないでしょうか?
剥げ頭まで瓢箪に見えてきた自分に笑ってしまった清兵衛。
「自分はこのことしか考えてないんだ」と熱中している自覚を持つ瞬間というのは、相当嬉しい感情だろうなと予想します。
清兵衛が次の趣味…絵を描くことを、父の反対を押し切って続けられたことを願いましょう。
まとめ
清兵衛と瓢箪をまとめると……
- 瓢箪を愛する少年・清兵衛と、それを理解しない大人たちとの対立を描いた物語。
- 清兵衛の情熱は教師や父親に否定され、瓢箪をすべて失ってしまう。
- 志賀直哉が「父への反発心」から執筆したが、作品として独立した芸術に昇華。
- 実際のネタは汽車の中で聞いた話がもとになっている。
- 「他人の情熱を否定しないこと」を教訓として教えてくれる。
- 大人の価値観の押し付けが、子どもの才能や夢を潰すことがある。
面白いので、是非読んでみてください!
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