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オツベルと象|あらすじ解説!怖い?伝えたいことや最後の一文も考察

オツベルと象|あらすじ解説!怖い?伝えたいことや最後の一文も考察 宮沢賢治

宮沢賢治著作『オツベルと象』。

大地主オツベルと無垢な白象の物語は、権力・搾取の傲慢さを伝えてくれます。

この記事ではあらすじや分かりにくい部分の解説、

「オツベルと象」が伝えようとしていることについて細かく考察していきます。

オツベルと象の簡単なあらすじ

白象を鎖でつなぐオツベルのイラスト

一言で言うと「オツベルと象」は、「オツベルが白象を酷使したために、仲間の象に殺される話」です。

ある牛飼いが物語る話。

稲扱器械(いねこきき)と、十六人の百姓を使う大地主オツベルのもとにやってきた白象
オツベルはその白象を巧みに取り込み、働かせることに成功します。

最初は楽しそうに働いていた白象。
しかし、与えられる食べ物は日に日に減り、ついにはふらふらの状態に……。

耐えかねた白象は、月に向かって「サンタマリア」と呼びかけ、その使いである童子に助けを求めました。

白象は童子の助けを借り、手紙をしたためます。
すると手紙を受け取った仲間の象たちは林から駆けつけ……

オツベルを潰し、白象を救い出しました。

助けられた白象は、しかし、どこか寂しげに笑うのでした。

『オツベルと象』語りの日ごとの内容

サンタマリアと月に向かって呼びかける白象

牛飼いの語り手によって語られた内容をまとめると、時系列順にこうなります。

内容
第一日曜
牛飼ひが語る日
オツベルが白象を自分のものにする
月曜鎖と分銅を白象につける
火曜水汲み、十把の餌
水曜薪運び、八把の餌(餌量を減らされている)
木曜炭火吹き、七把の餌
金曜働かせる、六把の餌
土曜さらに働かせる、五把の餌
第二日曜
牛飼ひが語る日
白象がオツベルに酷使される
月曜~金曜象は次第に弱る
水曜救助を求める
木曜象たちが白象を救助、オツベルの死
第三日曜・第四日曜語られていない期間
第五日曜オツベルの転落と死についての語り

オツベルの死がすぐに語られないのは興味深いですね。

第三日曜と第四日曜は飛ばされて、ようやく第五日曜で明かされます。

理由の一つは、象たちの襲撃でオツベルが死んだ場面を、すぐに語ることを避けたかったからでしょう。

二週間で牛飼いは出来事を整理して、やっと落ち着いて話す準備ができたのだと思います。

「オツベルかね、そのオツベルは・・・」という表現から、事件が過去のものになっている雰囲気が伝わってきます。

怖い物語?オツベルと象

くしゃくしゃに潰れるイメージ(木片で代用)

「くしゃくしゃに潰れる」という衝撃の最後を迎えるオツベル。

「くしゃくしゃ」という表現は「注文の多い料理店」でも使われていますが、そちらでくしゃくしゃになったのは「顔」であり、

体含めてくしゃくしゃになった衝撃は大きいです。

関連記事:『注文の多い料理店』を考察!宮沢賢治が伝えたいこととは?

他にもこの作品の怖さには

  • 権力者の傲慢(オツベルは白象をこき使った後も、弱らせて象牙や象皮も一儲けするつもりだったと思われる)
  • 強者が弱者を搾取する構図
  • 無垢な存在が利用されるということ

上のような点も挙げられます。

オツベルと象【解説】

ここから「オツベルと象」の分かりにくい部分を解説していきます。

この用語の意味は?なぜこのような行動をとったのか?

気になる部分を一つずつ紐解いていきます。

サンタマリアとは?

サンタマリア イラスト

「サンタマリア」はスペイン語で聖母マリア様を指す言葉です。

ただし宮沢賢治の作品では、直接的にキリスト教を持ち出すことは稀です。

おそらくですが、「サンタマリア」は白象にとって「救済」や「救い」を象徴する言葉だったのではないでしょうか?

苦しんでいるときに「ああ神様…」と言ってしまう。そんな感じだと考えてよいでしょう。

謎の最後の一文

川へ入っちゃいけないと白象に注意する白象

オツベルと象の最後の一文は、

 おや〔一字不明〕、川へはいっちゃいけないったら。

です。

正直この前の文章で完結してしまっているようにも思えるのですが、この一文にはどのような意味があるのでしょうか?

結論としては「おや君、川へはいっちゃいけないったら。オツベルのように欲に流された結果死んでしまうよ」

という教訓的な意味ではないのか?と考えられます。

詳しく見ていきましょう。

一字不明は何が入る?

一字不明となっている[]には何が入るのでしょうか?

これはシンプルに「君」だと思われます。

象の名前が入るのではないか?という考えもありますが、この物語は人間に対して牛飼いが話しているもの。

聴いている人々に「川に入ることの危険性」を注意している…ととらえるのが自然ではないでしょうか?

川へはいっちゃいけないったらの意味は?

三途の川をイメージさせる、宮沢賢治ワールドの川

この言葉に関しては色々な考察がなされています。

例えば宮沢賢治の有名作「銀河鉄道の夜」で、カムパネルラが川に入って死亡していますので、宮沢賢治ワールドの「川」には何か三途の川的な意味があるとか……

「欲に溺れずに」「人に流されずに」などの教訓的意味だとか……

真実は不明ですが、色々な考え方ができて面白いですね。

最後に白象が寂しく笑った理由は?白象の性格

寂しく笑う白象

この作品における白象の性格は、純真で無垢、善良な存在として描かれています。

疑うことを知らず、自由に生きる精神を持ち、他者の悪意や搾取に対しても無防備……

そんな彼が最後に「寂しく笑った」のはなぜでしょうか?

一方的に搾取するオツベルが踏みつぶされても、「悪をやっつけた!」とすがすがしい気分にはならなかった白象。

おそらくですが、 白象は自分の力で状況を変えることができない物悲しさを悟ったのではないでしょうか?

状況を打開したのは仲間であり、白象の「苦しいです」という訴えは、オツベルには届きませんでした。

優しさや思いやりが誰しもにあるわけではない、言いたいことが誰しもに伝わるわけではない……

その無力感や諦めの気持ちから寂しく笑ったのかもしれません。

またこの物語で白象の「善」は勝ちましたが、良い人・良い者が損、あるいは悲しい想いをする物語も、賢治は多く描いています。

気になった方はこちらの記事もご覧ください🔻

【考察】作者が伝えたいこととは?

作者が伝えたいことイメージ

この作品において作者が伝えたかったことは、以下の3つが考えられます。

権力の傲慢さと搾取図

強者が弱者を搾取する不公平な社会構造に、賢治が不満を覚えていた可能性はあります。

自然は搾取できないという教訓

白象は動物というより、純粋で自然の象徴的な存在です。
賢治はそんな「自然を支配しようとする危険性」を描いているともいえます。

無垢さと裏切りの悲劇

純粋であるがゆえに、白象は酷使され、最後にはオツベルによって破滅の道を歩まされます。
純粋であることは良いことなのか?を考えさせられる物語です。

オツベルと象【感想】

ここからは個人的なオツベルと象の面白さ、見どころを感想としてお届けします。

色々と考えさせられるところがある物語。

悪人でありながら、現代の価値観からするとちょっと分かってしまうところもあるオツベルの魅力などについて考えてしまいます。

有能なオツベルの悪人伝

大地主オツベル

この作品は、悪人でありながら一方で有能ともいえるオツベルの物語です。

通常の昔話では良い方向に向かう主人公が描かれるものですが、「オツベル伝」は主人公が絶頂期から破滅に向かう様子を、一頭の白象を通して描いています。

オツベルと白象の「心根」ははっきりと対照的であり、白象が純真で無垢であるほど、オツベルの非道さが一層際立つ構成になっています。

しかしながら、実際どうなのでしょう?

オツベルは地主としては有能な、新しいことに前のめりなハングリー精神を感じます。

巻き込まれたくないと、オツベルと関わり合いにならないようにしていた百姓たち。

事なかれ主義な彼らだからこそ、オツベルが助長したのではないかという考え方もできます。

皮肉語りが面白い

村人に語って聞かせる牛飼い

「オツベルと象」の語りもこの作品の面白さの一つ。

語り手の「牛飼い」は、牛の背に荷物を載せて色々な場所をまわりながら、各地の噂話を持ち運ぶ役割も果たしていました。

面白く興味深い世間話を、そこここで聴衆に向かって語りかける牛飼い。

一見オツベルの権力を肯定しているように見せかけて、最終的にオツベルの破滅を知らせる存在……

狭い空間、つまり「小屋」の中で、社会の枠を越えるドラマが描かれている作品です。

語り手は時間の経過を上手に使いながら、社会の構造を浮かび上がらせるという皮肉たっぷりな手法を上手くつかっています。

まとめ

  • 「オツベルと象」は、権力者オツベルが白象を酷使し、最後に象たちに命を奪われる物語。
  • 白象は無垢で純真な存在として描かれ、オツベルの搾取に対して無防備だった。
  • 物語の最後、白象が「寂しく笑った」理由には、無力感や諦めが込められている。
  • 宮沢賢治は、この作品を通じて、権力の傲慢さや自然を支配しようとする危険性、無垢さと裏切りの悲劇を描いている。

面白いので、ぜひ「オツベルと象」やその他の賢治作品も読んでみてくださいね。

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