この記事ではカズオ・イシグロの著作『私を離さないで』について、
- 自分たちは臓器提供の為の存在だと聞いたキャシー達が何故逃げ出さないのか?
- マダムとエミリ先生の人権活動が失敗に終わった理由
- タイトル『私を離さないで』の意味
について個人的な考察をお伝えしていきます。
(先にネタバレあらすじ相関図を参照したい方はこちら)
ネタバレが含まれますので、未読の方はご注意ください。
なぜドナーたちは逃げないのか?

「自分たちは臓器提供者で、いつか利用される為に生かされている」
これを知った時、まず始めに考えるのは「逃げる」選択肢でしょう。
よく似た要素のある「約束のネバーランド」でもそうでした。
関連記事:「わたしを離さないで」が「約束のネバーランド」に似ている件
しかし逃げる子供が描かれないのが『私を離さないで』。
少なくとも主人公・キャシーが知る範囲に、逃げ出した生徒はいませんでした。
これが何故なのか…理由に納得してしまうのが、この物語の怖くも素晴らしい点だと思います。
まとめると、下記の要素が逃げる選択肢を消していると思われます。
- 敷地外に逃げて死んだ生徒の噂が流れていたこと
- 自らの役目が隠されていないこと(少なくとも6,7歳のころから理解できずとも知っていた)
- 保護官やマダムたち庇護する者に「誠実性」があること。
- ドナー施設が他にもあり、その中で「ヘールシャム」が特別良い待遇であると知らされている事(事実も伴っている)
この中でも、特に重要なのが『3』ではないでしょうか?
保護官たちは「幸せな子供時代を」という想いから、子どもたちに嘘をついていました。
しかし真実を、職務に反して告げたルーシー先生。
わたしはいやです。あなた方には見苦しい人生を送ってほしくありません。そのためにも、正しく知っておいてほしい
決して作り物ではない、本心からのこの言葉。
他にもキャシーが踊っているのを見て涙したマダムなどが描かれていますが、キャシー以外の生徒も感じ取ったはずです。
「大人たちに心から幸せな将来を願われている」
この要素が「逃げる」という裏切りを封じ、「運命を受け入れる」という選択肢を取らせたのではないか…?そう思わせるのです。
マダムとエミリ先生の運動が失敗した理由

物語がキャシー視点で進むため、理解しきれないまま進むマダム「マリ・クロード」と「エミリ先生」の真実。
「ドナーたちの人権を訴える活動」をしていた二人ですが、それがなぜ失敗に終わったのか?
端的に語られるその部分についても、つながりを整理してみましょう。
恵まれたヘールシャムで過ごしてきたキャシーは知りませんでしたが、ドナーが劣悪な環境下で育てられることは珍しくありませんでした。
そもそも「医学の為の存在」として生み出されたもので、「そういうモノ」として認識する人たちも数多くいたーー…だからこそ、マダムは展示館を開き、「クローン人間にも心がある」と証明してきました。
しかしドナーを使っての治療が浸透してしまった世界で、人権活動は難儀しました。
「癌は治る」という希望を消そうとすることは、「丸を四角にするようなこと」だと例えられています。
それでもどうにか「ドナーたちの待遇改善」まで二人は漕ぎつけました。
しかしこの成果を吹き飛ばしたのが「モーニングテール・スキャンダル」です。
モーニングテールという科学者が、優れた人造人間を造り出そうとして、やりすぎて摘発された事件。
これが「造られた人間に対する恐怖・危機感」として、ドナーたちやその施設に飛び火しました。
他にもクローン人間への恐怖を増幅させるテレビ番組などがあったようで、小さかったマダムたちの人権活動団体は太刀打ちできなくなりました。
マダムとエミリ先生、二人の元には借金と生徒たちの作品のみが残りました。
しかし実際どうなのでしょう…「モーニングテール・スキャンダル」は摘発された話。
本当に「造られた人間に対する恐怖」が人権活動を潰したのでしょうか?
本当は人々が「自らや家族の死を恐れただけ」ではないでしょうか?
ドナーが居なくなっては自分が生きられないから困るーー…そんな利己的な理由だと声高々にふれまわれないので、
モーニングテール・スキャンダルにかこつけて人造人間に対する恐怖を煽った……
そんな真相が見えてくる気がします。
だとすると、キャシーたちは生みだされたこと自体が「不幸」となります。
どうにかするなら、最初のクローン人間を生み出すときに止まらないといけなかったーー……
或いはクローン人間無しに、医術を現段階まで発展させるしかありません。
糸より細い幸せしか用意されていないような、悲しい物語だと思います。
タイトル『私を離さないで』の意味は?

複数の意味を含むタイトル『わたしを離さないで』。
- キャシーが繰り返し聞いていた曲のタイトルで&フレーズで、ここから物語の肝部分が明らかになっていく。
- 荒れているトミーに、キャシーが「しがみつく」描写が二度ある→恋人に「私のことを離さないで」と示している。
これだけでも物語に欠けてはならない要素と言えるでしょう。
さらに嫌な想像ですが「私から私の臓器を離さないで」なんて取り方も出来てしまいますね。
私を引き裂かないで…これは最悪です。
逆に、映画版にこのようなキャッチコピーがあるのをご存じでしょうか?
この命は、誰かのために。
youtube シネマトゥデイより
この心は、わたしのために。
残された時間が短くとも、最後まで投げ捨てずに生きる……
「私自身が私の心を離さないで」
この物語は完全なるキャシー視点です。
ルースが死んでもトミーが死んでも投げやりにはならず、最後まで自分を離さず冷静に思い出を語るキャシー。
もしかすると『わたしを離さないで』は、キャシーがずっと自分自身に言い聞かせてきた言葉なのかもしれない。
そう思ってしまいます。
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