宮沢賢治が描く「なめとこ山の熊」。主人公の淵沢小十郎と熊との不思議な関係から、自然との共生や生命の重みについて考えさせられる作品です。
この記事ではあらすじや分かりにくい部分の解説、
「なめとこ山の熊」が伝えようとしていること、小十郎の死の意味について細かく考察していきます。
目次
なめとこ山の熊 あらすじを簡単に要約!
淵沢小十郎は、熊を捕まえる名人です。
しかし、実際のところ小十郎自身は熊を捕まえたくはありません。
不思議なことに、熊たちも小十郎のことが大好きでした。小十郎には熊の言葉さえ理解できるからです。
けれども、山を降りると小十郎はなかなかうまくいきません。
荒物屋の主人にうまく扱われ、熊の毛皮を安く買い叩かれてしまいます。
そんなある日、捕まえようとした熊が小十郎に言いました。
「殺すのは二年待ってくれ。」
小十郎はその言葉を守り、二年後――
その熊は小十郎の家の前で息絶えていました。
それは、悲劇の始まりを示していたのです。
最終的に、小十郎も熊の一撃によって命を落とすことになります。
いつでも退会できます。
この作品のテーマは?主題について
「なめとこ山の熊」のテーマ・主題は
- 命のつながりと宿命
- 食べる・食べられるの循環
が考えられます。
生き物たちは、自分より弱いものを食べて生きるしかありません。
そんな宿命に含まれている自分たち人間を今一度見つめ直す……これは作品全体に流れる重要なテーマでしょう。
それとは別に、他の命を奪って生きているという現実について。
賢治はこれをどうにかして断ち切りたいと悩んでいました。
元々宮沢賢治は、他者の痛みを自分事のように感じてしまう感受性があったとの研究も。
それを断ち切る方法は、他の生き物を殺さないで生きるか、いっそのこと自分が死ぬしかないという、極端な考えにもつながっています。
それは賢治の他作品「よだかの星」からも分かりますよね。
参考:よだかはなぜ星になったのか?【宮沢賢治・よだかの星考察】
この主題への結論は、小十郎の最期にこめられているのではないでしょうか?
なめとこ山の熊 解説・考察
ここでは、「なめとこ山の熊」を読んで感じる疑問点について、細かく解説していきます。
こうなのではないかな?という考察も。
小十郎と熊の関係は?どんな関係なの?
なんだかテスト問題で出そうな問いですが……(笑)
小十郎と熊の関係は、単なる猟師と獲物という枠を超えた、より深い関係性です。
表面的には、小十郎は熊を狩るために山に登り、熊は彼に襲いかかります。
しかし、物語の進行とともに、両者の間には相互の理解や尊敬が浮かび上がってきます。
小十郎は熊に対して単なる敵意を持っているわけではなく、むしろ自然の一部としての熊に対して特別な敬意を感じています。
一方、熊もまた「おまえを殺すつもりはなかった」と小十郎に告げ、彼を意図的に害するつもりはなかった節を見せます。
小十郎は単なる猟師ではなく、熊に対して特別な理解と敬意を持っている人物でした。
彼は熊を狩ることで生活をしているものの、熊を単なる獲物として扱わず、彼らの存在を尊重してきました。
小十郎が熊に対して抱くこの尊敬の念が、熊たちに伝わり、小十郎に対して好意的な感情を抱いていると考えられます。
こちらもチェック!人間と獣が心を通じ合わせる賢治の他作品「雪渡り」
怖い物語?『雪渡り』が伝えたい事とは?あらすじと解釈【宮沢賢治】
物語の最後について。小十郎はなぜ笑っているのか?
小十郎は白沢という場所に向かって山を登り……
そこで大きな熊が現れ、襲いかかられて死んでゆきます。
間際に聞こえたのは「おまえを殺すつもりはなかった」という熊の声……
小十郎の死に顔は、まるで生きているように冴え冴えとしていて、少し笑っているように見えました。
これが小十郎の最期です。
小十郎はなぜ笑っていたのか?
これは推測になりますが、多くの熊の命を奪ってきた小十郎。
家族を養っていくためとはいえ、一方的な搾取に、優しい小十郎はきっと思うところがあったはずです。
しかしながら今回、やっと奪われることができた……
そんな平等性を重んじる心の満足で、笑って死んでいったのではないでしょうか?
自然の中で命を終えることは、小十郎にとって「あるべき場所での死」だったのかもしれません。
また、最期の瞬間に熊が「おまえを殺すつもりはなかった」と告げていますが、
この言葉への共感もあったかもしれません。
熊も小十郎も殺したくて殺しているわけではない……そんな同じ想いを持つことへの嬉しさに笑った、ということも考えられます。
小十郎の死の意味は何か?
自然界では、生き物同士が命を奪い合いながら生きる「命の連鎖」があります。
人間だけ特別扱いせず、「命の連鎖」の中で死ぬことを受け入れた小十郎。
賢治は小十郎の死を通して、人間が一方的に搾取だけをする存在ではなく、
その大きな循環の一部にあることを自覚してほしかったのではないでしょうか?
いつでも退会できます。
語り手「私」とは?
「なめとこ山の熊」は、「私」という第三者が誰かに語っている…という体がとられています。
一部「僕」という言葉も使われていますが、同一人物と見て間違いないでしょう。
宮沢賢治作品では「オツベルと象」のように、「ストーリーの語り手」というのが時折登場します。
といっても、今回の語り手はかなり想像力を働かせ、言い切ってしまうタイプ。
自分の見たものではなく「人づてに聞いたものを(こうだろうと断定して)伝えている」というような様相です。
なめとこ山の熊における因果関係とは?
小十郎が長い間熊の命を奪ってきた結果として、自らも命を奪われるというのは因果です。
自然界での行為が必ず何かしらの影響を持ち、戻ってきた……ということですね。
しかし因果応報(原因に対して結果があり、それはむくいである)という考え方はどうでしょうか?
熊の皮などを買った「荒物屋の主人」はどうでしょうか?
彼は何か、熊を利用した応報があったのか?というと、特に語られていません。
応報というのは必ずあるものでもなく、ただ本人が「原因」となる部分に後ろめたさを感じている場合、
「結果」があるほうが正解だと感じるのかもしれません。
感想
以下は、なめとこ山の熊を読んだ、個人的な読書感想です。
生きる為に熊を狩り続ける小十郎。
昔の人は簡単に職業を変更することが出来ないと聞きます。
これが避けられない宿命というものなのかと、悲しくなりました。
だからこそ、小十郎はただ熊を倒すだけでなく自然と向き合い、熊たちに対して敬意を払っている理想の猟師なのではないかと感じます。
その彼が最後に命を奪われる瞬間、なんとも言えない美しさに包まれていると感じました。
「おまえを殺すつもりはなかった」…これはまるで熊と小十郎の間に言葉を超えた理解があったかのように感じらます。
小十郎は、熊を敵として見ていたわけではなく、命を繋ぐための一部として受け入れていました。だからこそ、死して自分もその一部となることに、苦しみを超えたある種の安らぎを感じさせられます。
命を奪い、奪われるという循環の中で、小十郎は最後には自然に抱かれ、熊たちに敬意を払われる存在となる……とても尊いですね。
さらに、小十郎が熊の毛皮を安く買いたたかれるシーン。
命を懸けて得た熊の命が、ただの金銭的な価値、それもとても安くにしかならないのは悲しい現実です。
そんな資本主義の人間が罰を受ける「注文の多い料理店」と合わせて読むと少しスッキリしますが……
『注文の多い料理店』を考察!宮沢賢治が伝えたいこととは?
資本主義というシステムが、どれほど命の価値を歪めてしまっているか……
そんな賢治の訴えを強く感じました。
この作品で作者が伝えたいことは何?読解
ではこの作品を通して作者が伝えたいことはなんでしょうか?
いくつか含まれているであろうメッセージを読み解いていきたいと思います。
自然と人間が共存する理想
小十郎は自然の中で生き、熊を狩りながらも、熊に対する敬意を持ち続けています。
自然や他の生物との関係は、本来こうあるべき…という作者の理想が透けて見えます。
それは人間側が動物を尊重するだけではなく、熊……ひいては自然側も同じ。
熊は人間を見れば襲い掛かってしまう生き物ですが、そのことを含みつつ、この物語のように尊重し合える関係にもなれる……
共存し得る関係であるべきだというメッセージを示しています
命の重さの認識
生命の尊厳についても、賢治は伝えてくれています。
小十郎は熊を殺すことに対して軽視することなく、命を奪うことの重さを常に意識している人物として描かれています。
彼が最後に熊たちに祀られる場面は、命の重さと、その命に対する畏敬の念を象徴していると言えるでしょう。
賢治は、生命に対して軽々しく扱うべきではないという重要なメッセージをこの作品に込めていると考えられます。
資本主義の倫理問題
「なめとこ山の熊」では、ガッツリ貨幣経済と自然の対立が描かれています。
熊を狩り、その毛皮や胆を町の荒物屋に売ることで生計を立てている小十郎。
熊の毛皮や胆は、単なる利益を生むための資源として扱われています。
小十郎自身は自然の中で熊を尊敬しながら生活している猟師ですが、彼が得た熊の毛皮や胆は資本主義的な社会の中では金銭的な価値でしか評価されません。
賢治は自然と資本主義的な経済活動が、どれほど異質であるかを「町の荒物屋」と「小十郎」で対比させています。
また、小十郎は不当に安く買いたたかれています。
これは、小十郎のような労働者や自然の恵みを利用する人々が、資本主義社会においては搾取される存在であることを示しています。
賢治はこのような描写を通して、不平等な経済構造に対する批判を表現しているのではないでしょうか?
自然から得た資源は本来大切なものであるにもかかわらず、軽んじられる……
それはどうなのか?という問題を提訴していると考えられます。
まとめ
- 小十郎は熊を狩りながらも、彼らに対して深い敬意を抱いていた。
- 物語では命の連鎖や自然との共生が重要なテーマとして描かれている。
- 賢治は命の重みと資本主義の対立を作品の中で示し、資源の不当な扱いに警鐘を鳴らしている。
- 小十郎の最期は、命を奪い奪われるという自然の循環を受け入れる象徴的な場面。
- 熊と小十郎の関係は、敵対ではなく、相互の理解と尊重が見える特別なものだった。
ぜひ、この作品を通じて自然と命のつながりについて考えてみてください!
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