志賀直哉の短編、流行感冒(りゅうこうかんぼう)のあらすじと読書感想です。
スペイン風邪が流行った時代。
コロナ渦のような環境の中で、人間の深みについて考えさせられる物語です。
志賀直哉の作品の中でも、個人的に一押しです!
目次
簡単なあらすじ
重要な登場人物は
私、妻、二人の幼い子ども・佐枝子、女中の石
の四人。
約100年ほど前、流行感冒(スペイン風邪)が流行った時代の出来事で、
コロナウイルスに似た感染症として話題になりました。
スペイン風邪が流行している時期に、主人である「私」に隠れて芝居を観に行った女中の石。
「私」は最初の子供が死んだ為、佐枝子を失うことも恐れて病に神経質でした。
ところが芝居に行ったことをで石を問い詰めると、
石は「芝居には参りません」(行っていません)と堂々と嘘をつきます。
石の状況はコロナ渦で職場の人に「ライブ行ってきました~」って言えないのと同じような感じですね。
石を信用できない私は彼女の解雇を望みますが、妻の頼みで引き続き雇うことになります。
その状況下でついに入り込んできたスペイン風邪。
石からではなく植木屋から移り、家内はほぼ全滅状態となりました。
無事なのは石と佐枝子と看護婦一人だけ。
妻もスペイン風邪にかかっている為授乳できず、ぐずる佐枝子を石は一晩中看病します。
普段働き者とはいえないのに、家が窮地に陥ると驚くほどに働いてくれた石。
その様子を見て「私」の気持ちは変化します。
見合い話の出た石の嫁ぎ先について心配し、石の幸せを願うようになります。
スペイン風邪を乗り切っても、私の石に対する感情は、それ以降悪くなることはありませんでした。
私の石に対しての心境が、予想外に移り変わる様が面白い物語です!
感想と個人的読みどころ
人との接触を避ける罪悪感に共感
石に芝居に「行ってない」と言われても、それを疑ってしまう私。
しばらく佐枝子(幼い子供)に近づかせないようにすると、佐枝子は石に懐いている為嫌がります。
私は不愉快だった。如何にも自分が暴君らしかった。ーーーそれより皆から暴君にされたような気がして不愉快だった。
どこまで流行病を恐れて人の集まりを避けるか。
そこにはやはり個人差があります。
その感覚の違いが、ギクシャクとした人間関係を生み出すこともあるーーー。
非常に共感性のある話ですね。
コロナ渦だからと実家に戻るのをやめたりすると(自分は冷たい人間ではないか)という罪悪感を抱くことがありましたが……
目に見えないウイルスに翻弄される、どうしようもない感情。
約100年前の人も似たようなものを抱いていたのかと想像すると、感慨深いです。
正しさを捨てて、人間の深みを知る
自分なりにこの小説にテーマをつけるならば「正しさを捨てて、人間の深みを知る」ということだと思います。
然し明瞭(はっきり)と嘘をいう石は恐ろしかった。
(略)
或いは、自身が守りをしていて、うっかり高い所から落すとする。
そして横腹をひどく打つとする。
あとで発熱する。原因が知れない。
そういう時、別になにもありませんでしたと断言する。
これをやられては困ると私は思った。
平気で嘘をつく「石」に子守りを任せられないという「私」の判断は、確かに正しいものでした。
何かあってからでは遅い。人命が関係するなら尚のことです。
しかしこの物語は、人間関係における“情“はその限りではないという事を気づかせてくれます。
流行感冒に侵された家で、一生懸命働いた石。
その気持は明瞭とは云えないが、想うに、前に失策をしている、その取り返しをつけよう、そう云う気持からではないらしかった。
もっと直接な気持かららしかった。
良いところばかりの人も、悪いところばかりの人もいない。
石の行動は、まさにそのことを教えてくれます。
そして石の良い所・人間的魅力は、窮地に陥った状況下でやっと見えてくるようなものでした。
勝手に芝居を観に行って嘘をつく石と地続きの存在で、佐枝子(子供)を寝ずに看病する「石」が居ます。
チープな印象操作無しに、同時に両面の「石」が存在する。
それを上手く表現する作者の技量に、ひどく感動を覚えました。
石は改心していません。ただ見えにくかった良い一面が、非常事態に偶然見えたにすぎないのです。
失敗を見ている方が、その者の良い方に目を向けて赦せるか。
良さに気付けるか。
感情を変えられるか。
思い込みを取り壊せるか。
ここに人が幸せになるヒントがあるのではないかと思います。
「自然にでた感情」の魅力に気づく
無事流行感冒を乗り切り、やがて石はお嫁に行くことになります。
然しその表れ方が私達とは全く反対だった。
石は甚く無愛想になって了った。
妻が何かいうのに碌々返事もしなかった。
別れの挨拶一つ云わない。
去り際の石は普段と違い、一度も此方を振り向かずに不愛想に行ってしまいます。
寂しさをそのままに、不愛想でも取り繕うことをしない石の「自然な感情」に私は好感を覚えています。
別れの際に笑顔で見送るのは美徳です。
しかし「嫌だ」という感情のほうが素直である場合、堪えて不愛想になることにいは趣深い魅力があると感じます。
笑顔よりも豊かに余韻が残る…
そしてもう一つ重要なのが、私がその「不愛想」を「良い感情」として読み取れている事。
これも凄いことです。もし石を許すことができなければ、「別れ際だというのにあの態度はなんだ」と感じることでしょう。
こんな人間関係を築きたいなと感じるエピソードでした。
終局ハッピーエンド
「本統にそうよ。石なんか、欠点だけで見れば随分ある方ですけれど、又いい方を見ると中々捨てられないところがありますから」
失敗した石を「置いておこう」と言った、妻のセリフです。
人の一面だけを知り、決めつけてしまうのは勿体ないことです。
良人(おっと)がいい人で、石が仕合わせな女となる事を私達は望んでいる。
最後、手のひらを返したような、石の幸せを願う「私」の感情で締められます。
切り捨てない優しさと、状況によって転じる都合の良い感情。
それを「正しさ」よりも優先させることで、ハッピーエンドが迎えられました。
勿論すべての場合ではありませんが、そのようなこともある。
だから簡単に人に見切りをつけないでおこう。
隠れた「人の可能性」に期待を持てる人になりたいと感じる物語でした。
まとめ
志賀直哉の流行感冒について、あらすじと感想をまとめます。
- コロナと似たスペイン風邪が流行った時代、女中の石に対する私の感情が変わる物語
- パンデミック中に人との接触をどれだけ避けるかには個人差があり、その温度差によるギスギス感に共感してしまう
- 正しさを一度置いておくことで人間の深みを知ることもある
- 自然にでた、取り繕わない感情には趣がある
- 一度嫌いになった人でも、ごく自然に幸せを願える関係になれることがある
ということでした。
学びが深い……!
志賀直哉の作品が青空文庫に公開されるのは、没後70年後の為2042年元旦です。
まだまだ先になっていますので、気になった方は是非購入して読んでみてください。
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