志賀直哉の短編小説『濠端(ほりばた)の住まい』。
争いを避け、自然の生活に逃れる男の物語です。
鶏や猫に対する主人公の感傷が、印象的な作品でした。
この記事では簡単なあらすじと解説、感想をお届けしていきます。
目次
『濠端の住まい』の簡単なあらすじ

『私』は町はずれの濠に臨んだささやかな家で、簡素な暮らしをしていました。
ヤモリや蛙、濠を泳ぐフナや鯉が身近にいる生活でした。
隣は若い大工の夫婦で養鶏をやっており、鶏が『私』の家の庭にもやってきました。(庭に境が無い)
観察すると、ヒナたちが母鶏の真似をしたり、雄鶏が家長らしく威厳をもっていたり……
面白いものでした。
ある雨が降った日。
夜中に小説を読んでいると、鶏小屋からけたたましい声がします。
大工夫婦も出てきて怒鳴ったり立ち話をしたりしていましたが、しばらくして家内に戻ったようでした。
私は翌朝、大工夫婦のおかみさんから「母鶏が猫に殺された」と聞きました。
孤児になったヒナ鶏たちを、他の鶏の親が世話してくれることはありませんでした。
死んだ母鶏は、夫婦のおかずとなりました。
そして次の晩、母鶏を殺した猫が、大工夫婦の仕掛けた罠にかかりました。
夫婦は明日、濠に沈めてやると言っています。
捕らえられた猫は一晩、暴れるのと哀れっぽい鳴き声で嘆願するのを交互にやった後、諦めたように静かになりました。
その声を聞いていた私は、「助けてやりたい」「雨で鶏小屋の蓋を締め忘れた夫婦にも落ち度があるのではないか」と思いましたが、結局何もできませんでした。
それも仕方のないことだと思われました。
翌朝起きると、猫は既に殺されて埋められていました。
【解説】書かれた背景や話のポイントは?

ここからは、あらすじだけでは分からない時代背景や話のポイントをまとめていきます。
どんな作品?書かれた時期と特徴

『濠端の住まい』 は、志賀直哉が 京都・山科(やましな) に住んでいた頃に書かれた作品です。
(大正14年1月『不二』に掲載された)
しかし、作中で描かれているのは 大正3年の松江での生活。
つまり実際の出来事から9年以上後に書かれた話 となります。
この作品の特徴は、
- 孤児になったヒナ鶏の哀れさを想う
- 殺された母親の悲しさを想う
- しかし、犯人の猫ですら「かわいそう」と思えてしまう
という、感傷を抱く相手の移り変わり。
「一方的に誰かを悪者にできない寂しさ」 を抱いているのに、結局何一つ変えることはできなかった主人公。
そんな生きづらさ、生きにくさを象徴する考え方が描かれています。
私小説?実体験が含まれている

この作品のモデルになってる『松江(に住んでいた)時代の志賀』について、里見弴(小説家)がこんなことを書いています。
「志賀さんは、風雨の日にずぶ濡れになって歩き回っていた。」
あらすじからは省きましたが、「私」も母鶏が亡くなる日にずぶ濡れになりながら歩き回っています。
つまり、この作品の描写は実体験そのものだったわけです。
(作者が直接に経験したことがらを素材にして、ほぼそのまま書かれた小説を私小説と言います。)
では別段用事が無いのに、どうして雨の中を歩き回っていたのか?
作中で雨の中を歩いた「私」が得られたのは…
- 歩き回って気分が晴れた
- 美しい水蓮を見ることが出来た
このような感情でした。
都会の人間関係に疲れた「私」は、雨も含めた「自然」により癒されているようです。
広い視点で物事を見る

また、作品の中で印象的なのがこの言葉です。
「たまたま、強雨で、箱の蓋を閉め忘れたために襲われたということは、猫が悪いよりも、忘れた者の落度と見る方が本当なのだ。」
鶏に愛着があったにもかかわらず、「猫が悪い!」 ではなく 「そもそも蓋を閉め忘れた人間の責任では?」 という視点を持っている「私」。
- 「争いの根本はどこにあるのか?」
- 「一方的に誰かを責めるのではなく、もっと広い視点で見るべきでは?」
ということを考えさせられます。
ちょうどこの作品が書かれた時期、有島武郎という人物が自殺しました。
志賀直哉と同じ「白樺派」の人物で、お互い影響を与えあう存在だった有島と志賀。
有島は階級闘争 (資本家と労働者などの闘争。社会化運動)にも深く関わっていた人物でした。
何が悪で何が正しいのか。しかし分かったところでどうにもできないことがある……
この作品には、そんな当時の社会の雰囲気が反映されているようにも感じます。
争いを避ける主人公
この作品の主人公は、「人間同士の争いに巻き込まれたくない」 という気持ちが強い人物です。
「人と人との交渉で疲れ切った都会の生活」 から逃れて、
「虫と鳥と魚と水と草と空」 を眺めて慰められる……。
それは志賀直哉そのものでした。
それ故に、 「田舎暮らし最高!」 だけではなく、もっと逃避の要素も感じられます。
- 争いから離れたい
- でも、完全に無関係ではいられない
そのような葛藤が、作品の奥に流れていると感じませんか?
感想

「争いを避けて自然の中で暮らしたいけど、自然の中には自然の厳しさがある」と感じてしまうお話でした。
隣の鶏が猫に襲われたり、その猫が罠にかけられて処分されたりと、結局「争い」から完全に逃れることはできません。
主人公が「猫を助けてあげたい」と思いながら、結局何もしないというのは、逆に物語として新鮮ですね。
ここでもし助けていたら…と考えてしまいます。
「誰が悪いか」というのは、簡単には決められない。
リアルすぎる感傷を含んだ、味わいある作品でした。
まとめ
- 都会に疲れた主人公 が、自然の中で静かに暮らそうとする話。
- しかし、隣人の鶏vs猫の事件に巻き込まれ、争いから完全に逃れることはできない。
- 猫が鶏を襲ったけれど、本当に悪いのは誰なのか? → 蓋を閉め忘れた人間にも責任があるのではないか?
- 主人公は猫を助けたい気持ちがありながら、結局何もしない。
- 「世の中、白黒ハッキリできないことも多い」というリアルなテーマが描かれている。
- ただの田舎暮らしエッセイではなく、争いと距離をとることの難しさを描いた作品。
面白いので是非読んでみてください!
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