この記事では謎が多い童話・宮沢賢治「注文の多い料理店」を考察。
作者が伝えたかったことは何か?ということを深堀していこうと思います。
個人的解釈になりますが、「注文の多い料理店」は結論として、
- 「食べる立場」は当たり前ではない
- お金だけに価値を置くのは間違い
という戒めの作品である気がします。
二つの戒めをユーモアたっぷりに教えてくれるこの作品。
賢治の他作品も交えつつ、ここから詳しく解説していきます。
あらすじを簡単に
先にあらすじを簡単にご紹介します。
都会から狩りに来た二人の若い紳士が、山奥で道に迷ってしまいました。
そこに忽然と現れたのは、西洋料理店「山猫軒」。
お腹が空いた二人は飛び込みますが、中は奇妙な注文を記した『いくつもの扉と長い廊下』が続くばかり……。
やがて二人は、自分たちのほうが料理されるために、注文を受けていたと気付きます。
危機一髪で犬と猟師に救われた二人。
しかし恐怖で紙くずのようになった顔だけは決して元は戻りませんでした。
【考察】賢治が伝えたかったこととは?
「注文の多い料理店」を通して宮沢賢治が伝えたかったことは何か?
二つの推測をご紹介します。
いつでも退会できます。
「食べる立場」が当たり前ではないこと
私達が当然のように「食べ物」と認識している牛や鳥、魚……
しかし、あらかじめ『食べられる為に生まれてきた』というものは一つもありません。
人間が「食べることのできるもの」と「食べるもの」を勝手に区別したにすぎないのです。
元は命を持った平等な生き物。
それを忘れ、スポーツとしてただ悪戯に命を奪おうとした紳士たち。
『兵隊の恰好』は、人間に反抗する動物を敵とみなして討伐するような傲慢さを表しています。
山猫軒はそんな紳士たちへの、動物側からの批判と脅しです。
悪戯に命を奪うなら、悪戯に奪われても仕方がないだろう?と。
宮沢賢治は他作品でも『人間は他の動物の命を尊重した関係を築かなければならない』と主張しています。
例えば「なめとこ山の熊」。
主人公・猟師の小十郎は熊に殺されてしまいます。
しかし仕事とはいえ動物の命を奪ってきたことに心を痛めていた小十郎は、寧ろ笑って死んでいきます。
参考▶なめとこ山の熊|あらすじ解説!小十郎の死の意味についても考察
「よだかの星」でも、よだかが自死した原因に「他の生き物を殺さなければいけていけない辛さ」があります。
参考▶よだかはなぜ星になったのか?【宮沢賢治・よだかの星考察】
『食うものはまた、食われる運命にある』
賢治はそのことを、紳士たちへの滑稽な恐怖をもって、伝えてくれているのではないでしょうか?
お金だけに価値を置くのは間違い
紳士たちは都会の金持ちです。
上等の鉄砲を持ち、高価な犬(2400円と2800円)を連れています。
当時の総理大臣の月給が1000円と言われているので、本当だとしたら大金持ちです
「高いもののほうが素晴らしい」と信じて疑わない彼らは、犬の値段を張り合います。
命あるものの価値を値段で決める、浅はかで非情な人間。
「山鳥を拾円も買って帰ればいゞ。」
「……さうすれば結局おんなじこった」
彼らは命拾いした後、元々買う予定だった山鳥を買って帰りました。
予定通りの出費。
しかし戻らなかった「紙くづのやうになつた顔」が山猫軒に入る前と決して同じではないと告げています。
お金だけで価値をを見ていた彼らが、人間の、動物の感情を忘れないように。
『恐怖』という表情をもって、戒めが刻み込まれました。
紙幣はしょせん、紙くずでしかない。
そのような皮肉も込められているかもしれませんね。
ちなみにですが……紳士たちは顔がくしゃくしゃになっただけで済みました。
しかしくしゃくしゃになるのが顔だけでは収まらなかった物語も、宮沢賢治は執筆しています。
それが「オツベルと象」です。
気になる方は、こちらの記事も読んでみてください▼
オツベルと象|あらすじ解説!怖い?伝えたいことや最後の一文も考察
まとめ&実際に山猫軒がある話
『注文の多い料理店』は、最初読んだ時によく分からない、引っかかるものがありました。
だから大人になってもう一度読んでみようという気になります。
これが名作ということなのでしょうね。
この作品が大好きな方にお勧めなのが岩手県の宮沢賢治記念館に併設されている『山猫軒』です。
(岩手県花巻市公式)宮沢賢治記念館HP
食事処です🔻
私も訪れてみましたが、原作好きにはたまらない演出や賢治グッズがたくさんあります!
原作と同じく山の上にあるため、行きはタクシーやバスで行くのをオススメします。
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