カズオ・イシグロの著作『遠い山なみの光』読了しました。
2025年に映画化もされている原作小説です。
戦後の長崎からイギリスに引っ越したのに、娘が自殺してしまった女性「悦子」。
この物語は大部分が、長崎時代を回想する悦子のものとなっています。
素直に読んでも面白いのですが、考察すると「まさかそういうことか…!?」と怖い想像もできてしまうのがこの物語の面白さ。
ここからネタバレ有りで
- 登場人物相関図
- あらすじ要約を最後まで
- 原作の謎についての怖い考察
- 読書感想
をお届けしていきます。
登場人物相関図

ネタバレあらすじ要約(最後まで)

長崎から英国に再婚にて移り住んだ悦子は、引きこもっていた上の娘・景子が部屋で首を吊っているのを発見し、葬式を終えた。
下の娘・ニキはロンドンから戻ってきて、母さんは悪くないと擁護してくれる。
悦子は再婚前ーー…長崎時代に会った母娘に想いを馳せた。

母親「佐知子」と、娘の「万里子」。
佐知子とは短い間だが親密な友人関係を築いた。
佐知子に職を紹介したり、万里子を預かったり、いなくなった万里子を探す手伝いをしたりして、戦後の長崎で付き合いを続けた二人。
万里子も連れてケーブルカーに乗ったこともあった。(→タイトルの由来?)

佐知子は調子のよいアメリカ男に騙されていた。
気づいているはずなのに一緒になる希望を抱くことを止めず、結果、娘の万里子に割を食わせていた。
悦子には佐知子の考えが分からなかった。
しかしやがて、親密な距離感が終わりそうな予感がした。
佐知子の元に、佐知子の従姉が「また一緒に暮らそう」と訪れたからだ。
引越し準備をする佐知子に、当然従姉の元へ行くと考えた悦子。
しかし佐知子が万里子を連れて引っ越すのは、アメリカ男「フランク」の元だと言うーー…
行きたくない、せめて猫を連れて行きたいと言う万里子と、それを了承しない佐知子。
佐知子は猫を川に沈め、殺してしまった。
悦子は傍にいてそれを止めなかった。
万里子は全部の様子を見ていた。
悦子はその後、万里子を説得した。
「行ってみたらきっと楽しい。嫌だったら帰ってこればいい」と、佐知子の代弁者のようなことを言った。
悦子はその時足に引っかかったロープを持っていたが、それを見て万里子は酷く怯えた。

この親娘について、この後は描かれていない。
これは悦子の生活は順風満帆な時の話だ。
夫婦仲は微妙だが、夫の「二郎」は昇進し、義父にあたる「緒方さん」とは仲が良かった。そしてお腹に子供が一人いた。
しかし現在悦子は夫と別れ、イギリスで住んでいる。
イギリス人の夫は亡くなり、その頃腹にいた景子も自殺し、家族は娘のニキだけだ。
ニキはロンドンに帰るらしい。悦子は娘が去るまで笑顔で見送った。
感想

待て待て待て謎が多すぎるぞと。読み終わった時感じて、しばらく考え込んでいました。
あらすじだけ見ても「どういうこと?」となった方はいるでしょう。
でも上の要約は間違っていないはずです。
想像の余地がありすぎて、これは翻訳だからなのか、それとも元から「匂わせ」的な書き方がされているのか…
しかし面白いのは面白いんです。全体として正しく理解しているか分からないのに、展開に納得してしまう不気味さがあるんです。
おそらく主人公である悦子が、回想の中でも本当に大切な所の本音を語っていないのが分かるからでしょう。
あからさまに嘘つきな佐知子でカモフラージュされていますが、この主人公は結構怖い女です。おそらく。
『わたしを離さないで』を読んだ時にも思いましたが、「虚言癖がある自分勝手な女」を書くのが絶妙に上手いですね。カズオ・イシグロは。
参考記事:『私を離さないで』原作小説ネタバレあらすじと相関図・感想
ただこの「佐知子は嘘つき」という前提で読むと、二郎を捨てた理由も「もしかしたら」と言うものがあります。
家系的的な安定はあったけれど、せこい嘘をつく癖等、人間としての魅力に欠けていた二郎。
悦子への態度も良いとは言えませんでした。
逆に義父の「緒方さん」は、悦子を気遣う中々素敵な人物。
……景子は本当に二郎の子なのでしょうか?
悦子は出産に関して、何かの理由で「苦」を感じていました。
勿論、初めての出産に不安になるのはおかしなことではありません。しかし…もし「バレないか」と言う点で思い詰めていたとしたら…?
「そうですね。でも男の子だったら、お義父さまの名前をいただきたいわ。昔は、わたしのお父さまみたいだったんですもの」
「今では、そうではなくなったのかな」
「いいえ、そんなことはありませんわ。でも、それはまた違いますもの」
どうも会話が意味深に聞こえてしまいます。
さらにこの物語、まだまだ裏がありそうです。随分怖い考察に行きついてしまいました。
原作の謎を考察

『遠い山なみの光』最大の謎は、悦子の娘である「景子」の自殺の詳細が描かれないということです。
引きこもりで姉や父とも仲が悪かったとかそういったことは描かれますが、景子が何を考えていたのかは全く描かれじまい。
そして何故か、悦子が長崎時代に会った母娘の確執が描かれるのです。
- 母親「佐知子」は都合の良いことばかり言うアメリカ男にいいように扱われ
- 娘「万里子」は母親に反抗し、海外やその男の元に行きたくないと反抗する
………これは本当に佐知子と万里子なのでしょうか?
悦子と景子のことを、記憶を捏造して描いている可能性はないでしょうか…?
相関図=▼

もしこれがあっていれば、「景子が自殺した理由」はガッツリ描かれていることになります。
万里子は母親に可愛がっていた猫を殺され、どれだけ反抗しても海外に連れていかれたのですから。
他にも余罪はいくらでも想像でき、読者を納得させるだけにはなっているでしょう。
ではなぜ、「佐知子=万里子、悦子=景子」かと思ったのか?
私がまず疑問を覚えたのは下記のセリフでした。
悦子は佐知子&万里子&悦子でケーブルカーに乗った時の記憶をこう語りました。
「ああ、何もとくべつなことはなかったのよ。ただ思い出したという、それだけ。あの時は景子も幸せだたのよ。みんなでケーブルカーに乗ったの」
確かに景子はこの時お腹の中にいました。完全なる間違いではありません。
しかし腹の中にいる時の子供を「幸せな時代」とカウントするでしょうか?
この時意外にも楽しんでいたのは万里子。
本当は悦子と景子でケーブルカーに乗ったのに、佐知子と万里子と悦子で行ったと記憶を捏造しているなら……
随分都合のいい記憶です。
悦子は佐知子を「自分ではない馬鹿な女」として描いている節がありますので。
ですが、悦子と佐知子の言動は重なりすぎています。
- 佐知子は安定した生活より夢のある海外移住に憧れていた。そして現在悦子はイギリスに住んでいる。
- 最後の最後は、悦子が引越しを嫌がる万里子を佐知子の分身のように説得していた。
- 佐知子と悦子の言い回しが被る。自分を「恥ずかしく思っていない」と言う佐知子と、娘のニキに対して「あなたを恥ずかしく思っていない」と言う悦子。
さらに時々ひどく不機嫌で内向的になる景子と万里子の性格も一致していますね。
なのであながち間違った考察ではないんじゃないか、と思うのです。
だとするならば…悦子は娘の幸せを顧みず、自分の幸せを掴んだ不気味な女性……案外これはホラー小説に分類されるかもしれません。
紹介した書籍▼
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